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レイニーウェザー
 
朝、下駄箱を開けると上靴の上に四つ折りに畳まれた紙がのっていた。
家を出る頃になって降りだした雨で重く湿った外履きを手に、固まること数秒。
嫌な予感を覚えつつ、コピー用紙を切り取ったような四辺形の白い紙を手に取った。広げてみれば、定規で引いたようなカナ釘文字で一言“別れろ”とある。
字面をしばらく見つめ、紙をポケットに突っ込み、靴を履き替えた。

心なし晴れの日よりも沈んで聞こえる昇降口の喧騒に紛れ、下駄箱の向こう、たぶん一つ先の列から“丸井君!”なんて可愛い声が聞こえてきた。
これを読んで欲しいのと、絵に描いたような青春の一コマを強制的に盗み聞く羽目になる。

良いよねそっちは、とたぶんそこに居らっしゃるであろうよく知った丸井くんに毒づき、ポケットの中に入った呪いの紙を再び取り出した。何度見ても別れろとしか読めないことを確かめ、ぐしゃりと握り潰してから、あぁこれ捨てちゃダメだったと広げて小さく折り畳む。

自分でも驚くほどなんにも感じなかった。
もっと動悸がするとか、背筋が寒くなるとか、なにかしらの動揺があるかと思ったけれど。一つもない。いつか来ると思ってたから、そのせいかもしれない。
あと、少しだけ安心した。
あの子じゃない。それは確かだったから。





でも、ちょっと冷静になって考えると、これはなかなかにヤバい。
昼休みになって、ようやくまともに物が考えられるようになってきたのか、その紙を片手に、あたしは念を押すように繰り返す。ヤバいよね。
バレてんじゃん。

下駄箱になんて名指しと同じで。あげく別れろって。
何かの間違いであって欲しい。実は隣の下駄箱と間違えたとか。同姓同名の誰かと間違えられてるとか。
他に何も情報がないから、たぶん切原関係だろうって当たりをつけるしかない。というか、男友達どころか交友関係も著しく狭い私の心当たりなんてそれしかないんだ、悲しいことに。

写真だけは撮られるな。そうすれば大丈夫だって、仁王は言ったけど。
紙面に力強く、ついでにおどろおどろしく引かれた線を目でなぞり、身震いする。

全然、ちっとも大丈夫じゃないですよ仁王サン…。





昼休み、あの忌々しい昼食会は中庭以外の決行場所が決まっていないせいで、雨が降れば中止になる。

いつもならもろ手を挙げて喜ぶはずのそれもじめじめした気分を吹き飛ばしてくれる程の効力を発揮せず、憂鬱な気分を引きずったまま、特別教室の並ぶ校舎の廊下をぼんやり歩いていた時だ。

ガラッと乱暴に教室の扉が開いたと思うと、女子生徒が飛び出して来た。
目元を擦る仕草に、泣いてんじゃん、とぼんやり思う。

口論みたいな声は聞いて無いし、ここ、家庭科室だし。あと、女の子がこれ見よがしに泣いて飛び出して行くのって、だいたいそっち絡みだ。
開け放たれた扉の間には分かり易くありがちな青春の残り香が漂っている。恋だ何だで一喜一憂、挙句に涙が出ちゃうなんて。

「すごいなホント…」

兎にも角にも面倒な目に合わないうちにとっとと離れようとしたあたしの目の前に、頬を真っ赤に腫らした丸井が顔を出す。

「あ」

「あ」

失恋で泣けちゃう女子はすごいけど。
もっとすごいのはこっちの方かもしれない。







真っ赤な髪に真っ赤なほっぺ。今しがた絞りに絞った勇気100%の告白を無下にしたらしい丸井くんは、報復とばかりに片頬を思い切り引っ叩かれたらしい。
そこだけ聞けば勝手な話だと思えるけれど、よくよく話を聞いてみれば、どうにも酷いのは丸井のふり方のほうだった。

「はい。氷」

「さんきゅ」

「うわ…台無しだね男前が」

家庭科室なら冷蔵庫ぐらいあると思ったけれど在処は家庭科準備室の中らしく、扉はしっかり施錠されていたため、居丈高な丸井を残し、お願いという名の命令の元にしぶしぶあたしは氷を頂戴しに職員室へと走った。

戻った頃には家庭科室で待たせていた丸井の頬はさっきよりもずっと赤く、熱をもってぱんぱんに腫れていた。ひっぱたいたのは女の子だよね、と再度確認を取りたくなる。
左右のアンバランスさとこのまま放置すれば人相も変わりかねない様相――流石にあとは引く一方だと思うけど――に若干怯んだあたしを見上げ、コンビニの袋で作った即席氷のうをぶら提げた丸井が片手を突き出すけれど、既に氷を渡してしまったあたしの手にはもう何も残っていない。

「何?」

「お菓子でもくれんのかと思って」

「どうなったら今の台詞がそこに繋がるわけ? 拝観料?」

「ちょっとぐらい恵んでくれてもいいだろ。傷ついた人間が目の前にいるんだぜ」

「外傷でしょ」

「傷は傷だろ」

しかも目の前にチラつかせたが最後、根こそぎ奪い取るような人間が何を言う。
望み叶わずとみるや、ケッと憎々しい悪態をついた丸井は、拗ねたように頬へ氷を押し当てた。

「あー冷てー…」

「感謝してよね。氷貰いに行くだけですっごい質問攻めにあったんだから」

「殴られたとか言ってねーだろうな」

「言う訳ないじゃん。それこそ離して貰えなくなるし」

まー、かっこ悪いもんね。女の子にひっぱたかれましたーなんて。
けどさぁ、とそこだけ幼児退行したようにぷっくり膨らんだほっぺを見やる。

「どういうふり方したらそうなるの」

普通泣いて走り去りはしても、引っ叩いて走り去りはなかなかしないんじゃないかな。

「しらねーよ。女ってマジでワケ分かんねー」

フォローまでしたのにとぼやく丸井にそのフォロー内容を訊けば正気を疑う答えが返ってきた。

「お前のくれるお菓子は好きだけどなって」

「…それが悪いんじゃない?」

私って身体だけの女だったのね改め、私ってお菓子だけの女だったのね、だ。あたしだって涙の一つくらい出るかもしれない。

「もうちょっと歯に衣着せるとかないの」

「付き合えないけどお菓子はくれよって、どうやって着せりゃいいんだよ」

「…それオブラートに包まれるくらいなら、嫌いって言われる方がよっぽどマシかも」

「じゃあお前はそうやってフってやる」

いや、あたしそもそも丸井に告白しないし。明日地球が爆発したってそれだけは無いって断言できる。

「何で丸井なんかがモテんだろ」

「そりゃあ俺ぐらいかっこよくて可愛くて天才的だったらモテるだろぃ」

「自分で言う?」

「待つぐらいなら自分で言う」

あぁそう…。
そもそも自分で言えちゃうのが凄い。満ち溢れた自信はいっそ清々しいくらいだ。あたしからすれば、甘いものの事しか考えてない横暴で無慈悲なお菓子魔人(ついでに悔しいぐらい顔が良い)だけれど。
でもそれだって恵理子に言わせれば、顔が良ければ全て良しで片付くんだ。きっと。

無駄に整った横顔を前に世の不条理を嘆きながら、あたしは軽い溜め息を吐きだす。

「でもまぁ…正直は正直だよね」

「急に何だよ」

「自分にも相手にも嘘はついてないじゃん。内容はともかく」

また言い返してくるかと思いきや、やっぱり多少精神的にもダメージがあるのか、丸井は鼻白んだように黙りこくった。

「じゃああたし戻るから。仁王探さないと」

「仁王?」

「用があるの。どっかで見てない?」

「見てねぇ」

「そう」

それではさっさとお暇を、と踵を返そうとした視界の端に、何かが映る。
ガムだった。よく見るタイプのチューインガム。
差し出すのは丸井の手だった。

「くれるの?」

「氷のお礼」

「…ありがと」

触ったら電流が走りはしないかと怯えつつ受け取ったけれど、何も起こらなかった。



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あきゅろす。
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