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二兎を追っても、六兎くらいは捕まえる

脱兎のごとく、という比喩が頭を過った。
何故か。一学年下の生意気な後輩が、まさに逃げ出す兎の勢いで走って来たからだ。

図書室へ向かうため、一階の渡り廊下を歩いていたあたしの前に、それは姿を現した。
凄いスピードで窓の向こうを横切って行くものがある。そう思ったと同時に、切原にしか見えない物体が、殺しきれない勢いのまま廊下を滑って来た。ギャギャギャギャと化け物の笑い声みたいに鳴った音は、おそらく靴底で廊下の床を擦った音だ。そんな音が出るもんなのか。
そうして鬼気迫る形相で校舎から飛び出して来た切原は、鞄を手に固まるあたしの肩をガシリと掴んで言った。


「副部長にバレた」

「え…」

「逃げろ」


言い終えるなり、渡り廊下の壁を飛び越え走ってゆく。速い。物凄く速い。
突風のごとく去って行く背中を見送り、その突風が残して行った言葉を改めて反芻する。
あいつ今なんて言ってた?
考える向こうで、道路工事でもしてるような音が鳴っている。多すぎる情報量に一先ずそれを意識から締め出そうとしたけれど、


「副部長――――って…」


道路工事を思わせる轟音が、ついさっきも聞いた異音に変わる。
今、鬼の様な顔の真田が廊下を滑って行った。


「む、どこへ行った!!?」


渡り廊下と校舎を繋ぐ、ドアの縁に手をかけ覗いた真田の声音から、その怒りがもはや沸点に達している事を悟る。
あ、まずい。冷や汗が頬を滑ったと同時に、一段と鋭さを増した目と視線がかち合う。

違った。大事なのは“逃げろ”の方だ。

くるりと踵を返すなり、あたしも脱兎のごとく元来た校舎へと駆け戻った。


「待たんか栗原!!!」


後ろから怒号が名指しで追いかけてくる。
っう、嘘でしょ!?今さっきまで切原追いかけてたじゃん!!
とにかく逃げるしかないと廊下を折れ、階段を駆け上がる。直線だとすぐに追いつかれるのがオチだ。

あぁああ鬼ごっこみたいぃ…。
ただし全っ然楽しくない。捕まれば死ぬヤツだ。
二階…いや三階、と踊り場を蹴りつけ上を目指す。
どこかの教室に隠れて…いやいっそ女子トイレに…。
右か左かと迷いつつ、三年の教室が並ぶ廊下へ飛び出たあたしの目に、赤い色が飛び込んでくる。

「ま、丸井っ」


呼べば、驚いたように丸井が大きな目を丸くした。
とにかく伝えなければ、という使命感が足を止めさせる。あの切原ですら逃げる間を惜しんであたしに忠告をして行ったくらいだ。ここでむざむざ犠牲者を出してはいけない。
真田。バレた。逃げて。と覚えたての日本語を披露するように口にして駆け出そうとしたあたしの肩を掴み引き止め「よし、わかった」と丸井は顔を引き締めた。


「お前はここにいろ。俺は逃げる」


良かった伝わったと安堵したのも束の間、踵を返そうとするそのシャツを信じられない思いで掴んだ。


「ちょっと!それあたしだけ怒られるヤツ!!」

「どうせ俺らも後で怒られんだよ!」

「なら今でも一緒でしょ!」

「んなわけねーだろ!頭に血が上りきってる時とじゃ全然違うに決まって…ひっ!?」


青褪めるその視線を追って振り返る。


「さ…真田…」


ごきげんはいかが、とその鬼の形相に向け、心の中で唱えてみる。

どうやらすこぶる悪そうだ。









芋づる式に引き出された面々。テニス部レギュラーメンバーが揃ってコートの隅に正座させられている。部活の後輩と思しき学校指定のジャージを着た生徒たちがちらちらとこちらを気にしながら素振りをしている。
空気悪くしてごめん…。で、なんでか混じっててごめん…。

怒り心頭に達するとはこのことか。真田は怒り狂っていて、顔が仁王像みたいになってる。名前が同じな仁王は何を考えているのかそんな真田をまじまじ見つめている。見てはいても、絶対話は聞いてないと思う。その隣のジャッカル君はずっと俯き通しだ。なんだか見ていて可哀想になってくる。
もう四、五回は聞いた「不純だ!!」を真田がまた口にする。めちゃくちゃ怒ってんじゃん。何が怒りに火をつけたか分からないぶん、下手に口を挟めなくて黙っているしかない。

「あんた、一体どんな言い訳したわけ?」
「覚えてねー…」

小声で隣の切原に尋ねるも、返った声が思いの外大きくてきろりと真田の目がこちらへ向いた。

「黙って聞かんか!!!!」
「はいっ!」

思わず敬語になるくらいには、お腹に響く一喝だった。




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