2 「ひっ…!?」 心臓がとっ捕まったネズミ張りに縮み上がった。 なんですか!?なんですか!!? 急に人に手を掴まれてこれだけ恐怖することもなかなかない。もはや見ず知らずの人にされたような勢いだ。 これはつまり、あれか!あたしとこいつの距離は出会ったあの日から一歩たりとも縮まって無かったってことか! 何とか手を引っ込めようと試みるもビクともしない。 何か地雷になるようなものを踏んだだろうか。違う意味でどきどきしながらゆっくり視線を上げていく。口元、口角は下がってない。頬、次いで目、眉、と順番にパーツを辿っていく。よかった怒ってるってわけじゃなさそう。でも依然として妙な表情を浮かべたままだ。 相手がぐっと身をのり出してきた分仰け反るあたしを下から覗き込む切原は、恐る恐るといった具合に「もしかして勉強できるとか…?」と口にした。そこでようやくぴんとくる。 あ…これはあれか、信じられないものを見た時の顔か。ははは―うける―…って、失礼すぎるわ!!悪かったな顔も良くない上に頭も悪そうで!! 取り柄なんて無縁の人生。むしろ平凡なことが取り柄なくらいだ。 握った拳を打ち付けて不満アピールをしたいけどそれすらも叶わない。 肩を震わせるあたしの向かいで、俄かに光を弾いたものがあった。 目だ。悪魔の。 きらりと光ったそれを合図にあたしは素早く席を立つが、まだがっちり手を握られたままではどうしても前のめりになる。 「出来るんスね?」 「で、できないっかな?」 目を細めあくどいとしか言いようのない笑みを浮かべた切原から逃げ出そうとしたものの、引けばやはり同じだけの力で引き返される。さながら卓上綱引きの様相を呈した攻防の打開策を探してあたしは視線を貸出カウンターへと向けた。 お、小高先生!ここに図書室の平和を乱そうとしてるやつが!! 救いの手を求め目で訴える。そんなあたしに気付いた小高先生は両の拳を握り締め、期待に溢れた目できゅっと脇を締めた。くり出された“ガンバレ”のジェスチャーにあたしは涙目で首を振る。 違う!!全然違う!!!! 抵抗空しく、数分後には全てを諦め得意教科やら苦手教科やらの質問に泣く泣く答えているあたしがいた。 目の前には超が付きそうな程ご機嫌な悪魔の姿。 「ちなみに英語は?」 「普通…」 「通知表は?」 「4」 「マジ!?英語できるとかあんた最高!」 最高!?切原の口からあたしにむけてそんな言葉が出て来たことが衝撃だ。でもって4でそんなに喜べちゃう切原の英語力が心配だ。 けどそうやってこぼれんばかりに輝く目を向けられると、ちょっと…悪い気はしないなんて思えちゃったりして…なんか嫌。 ちゃっかりこの問題は?なんて聞きながらプリントも進めてるけど、分かってるんだろうか。でも解き方しか教えてないから一応理解はしてるのかな。 ちなみにあたしの方はというと、開いた本はほとんど、というよりまったく読み進められてない。内容が全然頭に入ってこなくて何度も同じページを見返す始末だ。 「すげー解けた!あとコレ!コレってどうやったらいい?」 「えー、これは…」 何この子、目きらっきらさせながら聞いて来るんですけど。 なんか、あれだ。ずっと威嚇ばっかりしてた猫に、鰹節あげた瞬間全力で足にすり寄って来られたみたいな。 もじゃもじゃで可愛げのない猫を想像していたら、切原の隣で誰かが足を止めた。 「赤也、随分珍しい場所で会うな」 「え、柳先輩!?」 うわ思わず気抜いてた。いつの間にか図書室に生徒が入っていたらしい。見られていたかもと思いながらも、慌てて他人の顔をして本に目を落とす。そうして聞き耳だけはしっかり立てていると、二人の会話に真田の名前が出て来た。テニス部の先輩かな。 「柳先輩ここよく来るんスか?」 「あぁ、近所の図書館より蔵書が豊富だからな。よく利用している」 へぇ…。 じゃああたしも見たことある人かな、とこっそり盗み見てみればそこには覚えのある人がいた。前にそこの階段で会った人だ。 「すまないな、赤也が迷惑をかけていないだろうか」 「え!?あ、はいっ」 気付かれてた。こっち見てないと思ったのに。 この間はどうもと頭を下げると、こちらこそと落ち着いた声が返ってきた。 覚えてくれてたんだ。あたし結構すぐに顔とか忘れられるのに。 「先輩たち知り合いなんスか?」 首を傾げられ、思わず二人で顔を見合わせた。 「そう言う訳でもないんだが」 「今名前知ったよ」 「そういえばそうだな。柳蓮二だ、よろしく頼む」 「栗原茜です。こちらこそよろしく」 あ、なんかほっとするなこの人の空気。 うっかり和みそうになった時、自分と切原との説明し難い関係性が頭を掠めた。 これ、良かったのかな。テニス部ってどこまでの人が関わってるのか分からないけど、たぶんいつものメンバーぐらいだよね。だとしたら、自己紹介とかまずかったかも。 「…じゃああたし帰るね」 墓穴を掘る前に退散しておこう。 同じ事を考えていたのか、切原は短く返事をしただけであっさり解放してくれた。 そう言えば切原に真田のこと言い忘れたけど。 …まぁいいか。 [back][next] |