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株だってたまには上がる
 

今日の図書室はいつもに増して人気が無かった。ほぼ無人と言っても良いくらい。
貸出カウンターでは先生が、データの処理でもしているのか黙々とパソコンに打ち込みをしている。キーボードをたたく音が断続的に聞こえ、丁度良いノイズになる。
この方が落ち着いて本に没頭できるから読書に持ってこいで、こんな日の図書室にはいつまでだっていたいくらい。おまけに今日は切原からのメールもないし、委員の仕事もない。久しぶりに完全フリーな放課後だ。
足取りも軽く書架から面白そうな本を見繕ってお決まりの定位置につく。
なんてことない時間が一番幸せなんだと、最近嫌という程思い知らされた人生訓をかみしめながら本を開いた。

黒く重みのある硬い表紙を捲れば臙脂色の見返しが現れる。この部分の色は内容に合わせた造り手の拘りがあったりして、表紙との色合いから内容の想像をするのも楽しみの一つだ。
日常の喧騒から離れた癒しの一時。弛んでしまいそうになる口元を引き締めつつ冒頭の一文を目でなぞったその時、


「よっ」


視界に何かが入り込んだ。黒いもじゃもじゃだ。
顔を上げてはいけない。見ちゃだめだ絶対だめ。


「おい」

「……何の用?」


切原が醸し出す空気に、芯のないあたしの意志は簡単に折れてしまう。


「用がなきゃだめなわけ?」


そう言って至極当然のように向かいの席に座ったこの後輩をどう説得して帰したものか。
やっと訪れた安息の時間を易々手放すことだけは避けたい。


「部活は?」

「雨降ってきたから今日は中止」


なるほど、といつの間にか窓の外で濡れそぼっているグラウンドへ視線を移す。
そういえば午後から空がやけに暗かったっけ。
図書室の中も、まるで夜のように蛍光灯ばかりが白々と明るい。
伸びて来た手があたしの手から本を抜き取っていく。タイトルを見たもののどういう本かは分からなかったらしく、難しい顔をしている。


「ちょっと、返して」

「本って眠くなんない?」

「なってたら読んでないわよ。あんたは三分で寝そうだけど」


へへ、分かる?なんて笑いながら本を返す切原はいつもに比べて機嫌が良さげだ。
真正面から見据えられる居心地の悪さから逃れようと読書に戻る。まったく、他の生徒の目がないから良いようなものの…。

本当に何をしに来たんだろう。しばらく暇を持て余している様子だった切原は、あたしに微塵も相手をする気がないことを悟ったのか鞄から何やら出して広げ始めた。
ちらりと見てみればそれは去年自分も使っていた数学の教科書と問題の並んだプリントだ。
宿題だろうか。
似合わないなぁ。なんて、口に出したら間違いなく睨まれる感想が頭を過る。
まぁ静かにしててくれるなら文句はないんだけど。

けれどその内に切原があーとかうーとか呻き始めたものだから、あたしの集中もそれに合わせてちらちらと散りだした。静かだったのなんて最初の十分くらいのものだ。
真剣になるのはいいけど、うるさい…。


「あぁぁぁあ駄目だっ」


散々あーでもないこーでもない言っていた切原が急にがばりと頭を抱えた。かと思えば背もたれにぐったりと身体を預け、「…わかんねぇ……」と打ちひしがれている。
その上にYOU LOSE…の文字が見える気がしてきた。
宿題だけでよくこんなに騒げるな。忙しいやつ…。
呆れつつも何気なくそのプリントを覗き込む。そこにはたった一年前なのにもう懐かしくすら感じる方程式が並んでいた。


「…切原、それxの数一緒にすればいいから。@に2かけてAには3」

「………」

「…何よ」

「や、なんでも」


せっかく説明したのに、やつはなぜかプリントじゃなくあたしを凝視していた。
…しかも、なんだ今の顔。完全に口閉じ忘れてましたけど。かと思えば、「あんたって」とお次は怪訝さが混ざった出来そこないの苦笑いみたいな顔をする。
それはどういう顔よ。表情豊かか。

気持ちと同じだけちょっと身体を引いてしまう。そんなあたしの手――プリントの上に残っていた――を、切原が猫顔負けのスピードで抑え込んだ。


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あきゅろす。
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