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ドンが言うには
 

切原に会ってからというもの、凪いでいた筈のあたしの世界は大きく揺らぎ始めた。


「なかなかかわいい顔してるねぇあの子」

「…誰が、ですかね?」

「きまってるじゃない。最近ちょこちょこ来てるあの二年生だよ」


貸し出しから帰ってきた本を書架に戻し終えカウンターに戻ったところ、小高先生が本を差し出しながら至極面白そうにニヤついていた。先生がこういう顔をする時は碌な話が出ないことを知っているだけに、このまま何か聞く前に立ち去ろうかとさえ思ってしまう。


「確か――キリ…シマじゃない、えーと」


素早く辺りを確認する。今、図書室内に他の生徒の姿はない。先生もそれが分かっているからこそ今頃こんな話題をふってきたのだろう。
机の上の書類を漁り、その中から貸し出し用のバーコードが控えてあるファイルをとりだしそれをぱらぱら捲る先生。これも職権乱用の一つの形だ


「そうそう切原だ。2年D組6番 切原赤也。男っ気はまったくないと思ってたけど、年下引っ掛けてくるなんてあんたも隅に置けないねぇ」

「引っ掛け…って、そんなんじゃないです!全くの他人ですから!知り合いっていうのもどうかなってぐらいのやつですから!」


全力で首を横に振るあたしとは対照的に小高先生はなにやらうんうんと頷く。


「なるほど、そんなやつに校舎裏に呼び出されたってわけか。すごいじゃないか」

「だから違うんですってば!そういうんじゃないです!あれは、あいつにもいろいろあって!」


力いっぱい否定すると心底おかしそうに笑われた。


「まぁ落ち着け。いいと思うぞ。ちょっと頭は悪そうだが素直だし顔も可愛い。なによりあのテニス部期待のエースらしいし」

「…知りませんよ。そもそもあいつはそういうんじゃ…」


傍から見た切原はそんなふうなのか。あたしには不幸を振り撒きにくる魔界の使者にしか見えないけど。

むしろ先日の件を思い出せばもはや腹しかたたない。
ぎりぎりと締まるあたしの拳を緩めたのは、なにやら思案顔をした先生の一言だった。


「ただなぁ…」

「ただ?――何かあるんですか?」


急に真面目なトーンになるものだからつい気になって聞き返してしまうと、先生がカウンターに頬杖をついて、またもやニヤニヤ笑いを浮かべた。


「なんだやっぱり気にしてるんじゃないか。素直になった方がなにかと得だぞ」

「ち、違います!先生が含みのある言い方するから」


断じてそんなほわほわしたものではない。それどころか危機感以外の何物でもない。あたしの切原に対する認識は相変わらず危険因子及び無礼者のままだからだ。


「ははっ照れるな照れるな。いいねぇ、青春だねぇ。恋は人の世界を変えるって言うから、しとくに越したことはないさ」

「こっ…!?そんなこっ恥ずかしいものじゃないです!絶対に!」

「こっ恥ずかしいって。今時その語彙はどうかと思うぞJCよ」


あぁ、完全に楽しんでいらっしゃる…
あたしの言葉などまるっきり流して、楽しそうに笑いながら先生は続ける。


「特に、あんたみたいな子はね」

「え…」

「あぁ、そろそろ閉める時間だ。ほらとっとと帰った帰った」

「あ、ちょっ、先生」

「はいはい。また明日もよろしくー」


有無を言わせず実に慣れた動きであたしを押し出し、開いたドアの隙間から顔を覗かせた先生は追い払うように手を振った。どうやら可愛い生徒のためにサービス残業をする気は毛ほども無いらしい。

しかしもう開きそうもない扉の前では諦めるしかなく、言われた言葉の意味をよく呑み込めないまま、首を傾げながら私は一階へ続く階段を下りた。

ホントにあの先生は色恋沙汰に目がない。話を聞くのは好きだが言いふらしたりする様なタイプではないので、よく生徒からも相談を受けているところを見る。

でもあたしには無縁な話だ。あんなやつ相手に、誰が


「もう閉まってしまったか?」
「!?」


考え事をしていた所に声をかけられ、思わず段を踏み外しそうになった。落ちなかったのは支えてくれた腕のおかげだ。


「すまない驚かせたようだ。本を借りにいこうと思っていたんだが、一足遅かっただろうか?」


淡々と落ち着いた声が降ってくる。
慌てて顔を上げると頭上に整った涼しげな顔。礼を言いつつ急いで体勢を立て直し、早鐘を打つ心臓を服の上からぎゅっと押さえつけた。


「ちょうどさっき閉めたとこです。たぶんもう貸し出し用のパソコンも消しちゃってるから、明日の方がいいと思う」


そう告げても彼の表情は変わらなかったが、ほんの少しだけ残念そうにも見えた。


「そうか。ではまた出直すとしよう」


そう言って立ち去ったその人の後ろ姿を見て気付いた、ここのところしょっちゅう見ていたものだからすっかり目が慣れてしまったのかうっかりスル―しそうになったが、彼が着ていたのはなかなかに着る人を選びそうなあの橙色のジャージだった。


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あきゅろす。
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