3 「うっわああぁぁ…」 辿りついた購買では既に争奪戦が始まっていた。高等部の生徒を中心に、まるで餌に群がる蟻の群れのように、より安くより充実した昼食を求めに来た人間でごった返していた。 多少覚悟はしていたものの、完全に予想以上。 熱き戦いという言葉を当てはめてもけっして大げさにはならない。熱気も騒がしさも人の多さも尋常じゃない。っていうか、列作るとかそういう考えはないわけ? 「着いただけで満足すんなよ」 すっかり尻込みしていたあたしの肩に切原が手を置く。その目はいやに生き生きしていた。 限定パンをめぐる争奪戦は始まってる。もちろん皆が皆限定パン目当てに来ているわけではないが、競争率は相当高いに違いない。 「行くぞ!」 「ふわっ!?」 腕を引かれ、問答無用で突撃する羽目になる。待っているのはもちろんもみくちゃ一択の未来だ。 「前進あるのみ!ちゃんと取ってこいよ!」 激励だけ残して切原はあたしを戦争の最中に放り出し、一人ぐんぐん突き進んでいく。 「待ってこれパンがどこにあるかも分からな…っ」 普段混んでる時間に購買なんて使わないからどこを目指すべきかもさっぱりだ。 前も後ろも分からずもたもたしている内に、人垣からいとも簡単にはじき出された。 人が一人後ろでひっくり返ったところで、戦士たちは誰も気に留めたりしない。ここは戦場だ。敗者には飢えあるのみ。 一歩離れてみてようやく左がパンで右がおにぎりやその他諸々を売っていたことを思い出した。 立ち上がってスカートの埃を払ったあたしは、レジすらも人に埋もれて見えないパン売り場から目を背けた。 もう、敗者で構わない。今するべきはとりあえずの食料確保だ。 パンは諦めて比較的空いているおにぎりコーナーに向かうあたしの前を、目当てのものが買えたのかほくほく顔の生徒が通り過ぎて行く。そんな顔で購買を出て行く生徒を何人も見送った頃、ようやく戻って来た切原はあたしの手に二つのおにぎりを見るなり眉を顰めた。 「なんだよ情けねーな。あんた諦めんの早すぎ」 「も…いい。こんな思いするぐらいなら一生食べれなくていい」 実際昼食を買っただけでこの疲労感はなんだ。この20分そこらだけでどれだけ神経をすり減らしただろう。 「道とは呼べない道まで辿って、あげくパン一つ買えないなんてことある?」 そうだ、あたしの根性と度胸の無さを考慮したなら、そもそも全力疾走でここまで来た方がよっぽど早かったんじゃないだろうか。 「でも楽しかったろ?」 にっと意地悪く笑いながら切原が買って来たらしいパンを持ち上げてみせる。そこに輝いていたのは紛れもないスペシャルシール。 「これ…!」 コロッケパン。と素っ気ない声が答える。 コロッケパンと言えば、確か購買で二番人気のパンだったはずだ。 「さすがに焼きそばパンは残って無かった。まぁあんだけもたつけばな」 うっと言葉に詰まる。一応謝るべきか悩んだあたしが答えを出す前に切原がそれを投げて寄越した。 「え?」 「分け前は半分な」 さっさと飯にしようぜと言って歩き出した背中を慌てて追う。 「な、なんで」 「無理無理うるさかったけど、あんたも少しは頑張ったし?」 横に並んだあたしに、ほんの少し口角をあげてみせる。 相も変わらない上から目線に。あたし、一応先輩だよな、と心の中でこっそり確認してみたりなんかして。 そうして裏庭に行けばいつものランチタイムが始まる。 パンの包みに付いた限定シールに対する周りのリアクションを横目に、半分こしたそれに齧りつく。 目指したものとは違ったけれど、死ぬ思いをした果てにありつくことができたパンは、うっかり涙が出そうなほど美味しかった。 「…すっごく美味しい」 「とーぜん」 ふふん、と得意げにするその顔は少しムカつくけど、切原がいなければあたしにはこのパンを食べる機会なんて一生訪れなかったんだろう。 無難に、もう分不相応なことはしないで中学生活を送ったはずだ。 それはとても安全で、だけどそこに特別な喜びはない。それでいいと思っていた…のに。 「…ありがと切原。………行って良かった」 切れ長の目がスッと細くなって、薄い唇の端が高く持ち上がる。 「―――おう」 嬉しそうな、今まで見た事もない顔で笑われて、不意を突かれた心臓が飛び跳ねた。 どぎまぎと視線を逸らし、動揺を誤魔化すように慌てて二口目を頬張った。どうしてか頭の中がぐるぐるする。そんな状態で食べても、やっぱりコロッケパンは極上の味がした。 けれどその後、やっとの思いで手に入れたそのパンは、遅れてやって来た丸井に泥棒猫もびっくりな速さで横取りされた。無情にも丸井の口に消えていくコロッケパンを見送らざるをえなかったあたしの眼には、うっすら涙が浮かぶこととなった。 [back] |