3 にやりと笑った切原に不穏な気配を感じて息を呑んだら、ろくに噛まずに飲み込んだあんパンが喉につっかえた。 せき込むあたしに、畳み掛けるようにして切原は続ける。 「食ったんだから、協力するよな」 「はい!?ちょっ、ちょっと待って!そんなこと一言も言ってなかったじゃない!」 「いーや、もう決定だ。食ったからには付き合え」 いやいやどんだけ!?パン一個で面倒事引き受けちゃうほどあたしお人よしに見える!?ていうか無理矢理すぎるでしょ! 「返す!これ返す!」 「返品は受け付けませ〜ん」 悪魔だ。さっき見えたのも間違いなく悪魔の尻尾だ。ふざけんなよワカメ野郎。 ちょっと上がったかにみえた株は一瞬にして大暴落し、幼稚なあんパンの押し付け合いが始まる。どちらも一歩も引く気はない。 「諦めろ、この歯型が何よりの証拠だ」 「何が証拠よ!嫌だってば!絶対嫌ぁ!」 「往生際が悪いって茜ちゃん」 「黙れ海藻」 「てめぇッ!」 「ひっ…!」 うっかり地雷を踏んでしまい慌てて仁王の後ろに逃げ込むが、彼があたしを庇ってくれるわけもなく、すぐ切原に捕まって引きずり出される。 「ホントにやだってば!あたしは静かに生きてたいの!」 「俺もホントに嫌なんだって!あいつだけは嫌なんだって!」 不毛な戦いのゴングが鳴るかに思えたその時、さっきからずっと黙って事の成り行きを見ていた彼が、ずいっと間に割り込んできた。 「埒があかんのう」 「仁王…?」 「できればこの手は使いたくなかったんじゃが」 酷く真面目な彼の声音が、とてつもなく嫌な予感を伴って耳に届く。切原までもが真顔になるもんだから、言い知れない不安にあたしは息を呑む。 「でも、しょうがないっスよね…」 そう言って切原は辛そうに目を伏せる。 え、何?何の話? そして切原は、どこからか一冊のノートを取り出した。 「これ、なーんだ?」 「何って…ノートでしょ」 その手にあるのは何の変哲もないノート。普通に購買でも売られているようなやつだ。授業中であればほとんどの生徒の机に乗っているような代物だ。別に珍しくもなんともない。 それを片手に、 「俺が世界を変えてやるよ」 自信に満ち溢れた笑みで、漫画のヒーローさながら切原はそう言い放った。 つり気味の目が、間近からあたしを真っ直ぐ見据えている。 何、これ。何の話? キャーって黄色い歓声でもあげるべきなんだろうか。 突然の宣言に目を白黒させているあたしの前で、切原は見せびらかすようにノートを振って見せる。 「あんたが協力してくれるんなら、これは返す」 「え?」 「世界が色を失くしたって?なら俺が世界まるごと塗り替えてやるよ。嫌ってぐらい、色で埋め尽くしてやる」 色?世界?失くしたって… 「……ちょっと待って…何であんたがそれ…」 真っ青になって思わずこの場にある筈のない自分の鞄を探して視線を巡らせた。 そんな、だってあれは 最後に見たのは、確か――… 「いやあああっ!!何であんたがそれっ持って!?返して!今すぐ返却して!!」 掴みかかるあたしをかわして切原は笑う。 例の、悪魔の笑みで。 「いつ盗ったのよそんな物!!」 「人聞き悪い言い方すんなよな。言っとくけど、そっちが落としていったんだぜ。しかも人の鞄ひっくり返して」 嘘でしょ、いつ…? まさか、図書室から逃げた時鞄だけ引っ掴んで出て来たあの時? ばらまいたのは切原の鞄の中身だけだと思っていたけどまさか。そんな、よりにもよって… 最悪だ。最悪すぎる。 「これ日記みたいなもんだろ?俺なら絶対人には見られたくないけどな」 「あたしだってそうに決まってるでしょ!いいからさっさと返しなさいよ!!」 「協力してくれるってこと?」 「そんな訳ないでしょ!!」 まずい。追い込まれてる。 このままだと協力させられる。 できれば使いたくなかったけど、こうなったら奥の手を… 「しょうがないでしょ。できるなら協力してあげたいけど、でもあたしにだって事情ってもんが…」 「おらんのにか」 「…な、何が?」 「彼氏」 何で知ってるの。 どこから洩れたんだろうあたしの個人情報…。いやもう調べなくても確信持てちゃうのかな。こんな狸と付き合う物好きはいねえだろはははーってことですか? 「い、…いるって言ったら?」 「ほお?」 「すみません嘘ですいないです。だからそのお綺麗な顔を近づけないでッ」 駄目だ。この美形攻撃には勝てる気がしない… 「好きな男は?」 「い、いない…けど。でも、」 「決まりじゃな」 「へっ!?」 [back][next] |