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Rest In Peace -君が世界に還るまで- 【6話】
「どう、本当の力は」
 森から戻ってきたエトランゼとアテミスは、村長の家で一仕事終えた後の休憩をとっていた。木で出来た温もりの伝わる椅子に座って、エトランゼは自分の掌を見つめていた。
「……正直、驚いてます。私、こんなに魔法を、使えたなんて」
 今までの自分を思い返すと、魔法を使うだけで眩暈に襲われるくらいに耐性がなかった。様々な種類の魔法が使えるのに、使えないもどかしさがあった。それが今日の一件で一変する。エトランゼは、魔法と使えるようになっていた。
「どうしてかわかる?」
 アテミスは椅子には座らず、エトランゼの隣で腕を組み、足を交差させて立っていた。視線が動かないエトランゼに向かって、アテミスは問う。もちろん、エトランゼは首を傾げた。
「エストに助けられた時、不思議じゃなかったかしら。自然と身体が癒されていく感覚があったでしょう?」
 そう言われて、エトランゼは視線をアテミスの方へと動かす。そして、頷いた。
「あった……すごく気持ちが良かった」
「そのおかげよ。あの石には、浄化や再生の力があるのよ」
 アテミスが所持していた、緑色の石。そこにはアテミスが言う浄化や再生の力が秘められていた。エストが使った力は、これによるもの。エトランゼだけでなく、衰弱していた村人の治癒もその力が果たしてくれたのだ。
「でも、そんなことで……?」
「案外、そんなことでよ。それに、エトランゼは魔法が使えないのではなくって、使い方を知らないだけ」
 アテミスは一つ、息を吸い込む。そして、ゆっくりと吐き出した。
 人差し指の先にポッと灯った火。エトランゼは目を丸くする。アテミスは疲れたり、力んだような素振りもなく、涼しげに火を灯している。
「これも、立派な魔法よ」
 アテミスが息を吹きかけると、蝋燭の火が消えるように輝きが失われた。彼女の得意げな表情に、エトランゼは思わず拍手をした。
「エトランゼは、まだ力を制御出来ていないだけ。しっかりと勉強すれば、一流の魔法使いになれるわ」
 そう言って、エトランゼの頭を撫でる。エトランゼは、その言葉がとても嬉しかった。
「んじゃ、私も帰るね」
 無邪気に笑っているエトランゼの顔を見てホッとしたのか、アテミスは家に戻ろうとする。少しエトランゼは寂しく感じたが、ずっとここで一緒に居るわけにはいかないと、せがもうとする自分の欲求を磨り潰した。最初に会った時の反抗的な感情は何処にもない。
「また、明日……会えますよね」
「もちろん」
 名残惜しい別れという程ではないが、離れるのが嫌そうなエトランゼを振り切るように、アテミスは家を出た。エトランゼは椅子の上で肩を落とす。
 彼女の罪が晴れたわけではない。今のところ、エストやエトランゼの相手を出来るのがアテミスしかいないために自由の身を約束されているが、二人が村を離れたあとどうなるかはわからない。最悪処刑され、命を落とすだろう。
 ただ、驚くことに、この事件での死者はいないらしい。もちろん、酷く衰弱している村人は多数残っているが、暫くすれば回復するだろうと村長は言った。エトランゼにはその根拠がわからない。青白い顔をして、瞼を閉じたままの人間が再び目を覚ますのかという疑問はあるが、実際に元気になるかどうかは、その時を待つしかない。
「どうなっちゃうんだろう……これから」
 エトランゼは深く息を吐いた。それは、新鮮な空気の中を泳いでいく。


 そんな姿を、エストは村長のベッドの中でチラチラと眺めている。
 まだ横になっていろと村長に言われたが、すっかり目が覚めてしまって、むしろ横になっていることが苦痛になり始めていた。寝心地の良い毛布の気持ち良さにすっかり慣れて、自分の温もりが嫌になっている。
 低く感じる天井。村長の家とはいえ、エストに与えられていた部屋と同程度の大きさ。大きな環境の変化に戸惑うはずが、エストにはその感覚がなかった。生活のギャップに苦しむ感覚が一切ないのだ。理由はわからないが、そんな不思議さが逆に気持ち悪い。エストはやはり外の空気を吸うべきだと、ベッドを降りる。
「あ、エスト! 起きちゃダメって言われたばっかじゃん!」
 その様子を見たエトランゼが、椅子から立ち上がってエストに忠告する。ボサボサの髪を掻いて、エストは目を背ける。
「だって、ずっと寝てたし……もう体調もいいから」
「……ホント?」
「ホ、ホントだよ」
「私、エストの大丈夫って、あんまり信じないことにしてるんだよね」
 エトランゼの視線が、エストの胸に刺さる。口を突き出して、猜疑心に溢れた瞳が向けられている。エストは溜息をつき、肩を落とした。
「そんなにボクって、信用ないかな」
「少なくとも、私はあんまり、信じてない」
 椅子に座り直し、背を向けてエトランゼは言った。姿勢の良いエトランゼの背筋は、しっかりと伸びている。
「わ、私のこと、守ってくれるんでしょう」
「う、うん。もちろんだよ」
「……じゃあ、もう心配させないでよ」
 エストからエトランゼの顔は見えない。しかし、何となく表情がわかった。エストは口の動かし方を迷った。口角を上げるつもりが、奥歯を噛みしめていた。
「ごめん、エトランゼ……」
「謝ってなんか欲しくない!」
 結局、言葉の選択を誤ったエストもまた、エトランゼに背を向けた。こんなつもりではないのにという思いがいくつも積み重る。どうもエトランゼとは上手くいかない。特に、ツヴァイがいなくなってしまってからは。
 少し不穏な空気を振り払うように、外から村長が帰って来る。エストはそれに気付くとベッドを降り、声をかけた。
「おかえりなさい!」
 すっかり元気になったことをアピールしてみせるエストだが、村長の顔は些か暗さを覗かせている。
「おかえりなさい。お疲れ様です」
 エトランゼが続く。村長は反応することなく、エストが眠っていたベッドへとゆっくり足を進め、腰を下ろした。
「流石に歳には勝てんのう……」
 長くなった顎の髭をさすり、村長は悲しげな声色で言う。エストは心配になったが、その気を察知したのか心なしか背筋を伸ばし、鋭い目つきで二人の方を見た。
「エスト、エトランゼ。遅くなったが、ようこの村へ来てくれた……じゃが、お前さんらが来たということは……世界が、怒り始めたか」
 村長はそう言うと、エストの首にかけたペンダントの方に目をやった。透明に落ち着いた鍔の部分の石をまじまじと見つめ、頷く。
「宝剣、イノセントブレイド……橙色の髪の勇者が持つ剣だということは、わかっておるな」
 エストは頷く。読んだことのあるおとぎ話や伝記、歴史書には必ずと言っていいほど載っているものだ。ただ、記述はまちまちである。絶対的な力を持っている剣、万人の命を救う剣、蔓延している瘴気を浄化する剣など、書物によって宝剣の説明は違っていた。同じであるのは、橙色の髪の男が所持している、そして最終的には魔王を倒すか封印するという結末に行きつくことである。また、この宝剣には多くの命が宿るとも言われている。エストが薄々この剣の正体に気付いたのは、この一説を知っていたからだ。
「宝剣は勇者に力を与え、その力を以って、勇者は闇を照らす光になる。そのことも、頭には入っておるな?」
 もちろんだと、エストは頷く。村長の顔を見つめる瞳には一切の曇りがない。
エストは、勇者の存在に憧れていた。
人間の姿ではありながら、人間とはかけ離れた能力を持っている存在。身体能力は去ることながら、攻撃や防御、怪我や病の治療など、様々な類の魔法を使い分けることが出来るのもこれまでの勇者の特徴だ。子供なら誰でも、勇者には憧れる。同じ髪の毛の色、同じ名前、それらがさらに憧れを強める。
「もちろん。今まで、エストと呼ばれた人たちのことは、お父さんから色々教わりましたから」
エストとは、実際には『希望の灯』とも称される勇者の名前を指す。そんじょそこらの、名ばかりの勇者とは違うのだ。そして、エストが読んだ書物に、勇者の名称が『エスト』でなかったものはない。
「……なら、話は早い。エスト、お前さんは世界に選ばれた、新たな勇者だ」
 村長の声がエストの心の奥で響く。改めて自分の存在を認識する。浮ついていた実感が一気に押し寄せてくる。
 そんなエストの隣で、エトランゼが俯き始める。エストは声をかけるものの、「大丈夫」とだけ言って、エトランゼは唇を噛んだ。
「直近の戦争は、三百年程前にあった。その時も、勇者は魔王を倒したと言われている。きっとお前さんには、その勇者の血が残っておるのじゃろう」
 村長はエトランゼの異変に対しては目もくれず、淡々と話を続ける。長い歴史の中で、人間と魔物は何度も戦争をしている。
橙の髪の男が現れた時、世界は平和を取り戻す、そのような旨がおとぎ話では書かれている反面、歴史書には敗北し、命を落としてしまった勇者の存在についても説明されているものがある。三百年前は人間側が勝利を収めたが、ある時代は魔王の手によって人間が支配された時代もあるということからも、多くの出来事が事実かどうかは今でも議論されているそうだ。
「橙色の髪。何よりもそれが、勇者である証拠……皮肉にも、同じ名前をつけられてしまったな」
 村長の硬い表情がここで少し和らぐ。エストは舌を出した。
「なんだかわかりづらいですね」
 自分の子供に勇者のような強くたくましい子に育ってほしいという願いで『エスト』と名付ける親は少なくない。自分はどうなのだろうかと、エストは記憶のない生みの親に思いを馳せる。
「その剣には、世界が始まってからの記憶が受け継がれておる。そして何よりも、所持者に反応して、剣は性質を変えると言われておる……そうじゃ、エスト、あの石をもう一度、わしに見せてほしいのじゃよ」
「石……ああ……でも、あれってどうやるんだろう」
 そう言われ、エストはペンダントを外し、掌に置いた。鍔の部分の石は透明になっている。
「えっとえっと、で、出て来い!」
「ちょっと、ふざけてんの!?」
「え、いや、だってあの石ってどうやって出すかわかんな……あれ」
 どうしていいのかわからず適当なことを言ってしまったが、ペンダントはエストの意思を汲み取るように輝き始める。
 ふと、エトランゼの手が、エストの服の裾に触れる。エストはそこに目線を落とす。その手は震えていた。
「心配しないで、ボクはボクだよ」
「じゃあ、私とは……違うの? 確かに、私だって普通の人間とは違う。でも……」
「大丈夫。ボクは……離れたりしないから」
 震える手を握ったエストは、エトランゼの手が酷く冷えていることに気が付いた。魔力を頻繁に使っていることが、エトランゼの身体を衰弱させている。本人は気付いていないのかもしれないが、いつ倒れてしまうのかわからない。そんな状態だ。
 エトランゼから掌へ視線を戻す。輝きの収まったペンダントの傍には二種類の鍵石があった。親指の腹程度しかない大きさなので、ペンダントと別々に持っていては失くしてしまいそうだ。
「……ほう。エストが手に入れたのは、緑の方じゃな」
「はい……でも、もう一つの方は覚えが……」
 緑色の石の隣に青色の石がある。その存在には覚えがなく、エストはそれを手に取ってみて首を傾げる。
「そうか……もともと、この剣の中でこれだけ守られていたとは考えにくいのう……」
「……あの、その、鍵石っていうのは」
「……すまんが、わしもこれが初見じゃ。今まで見たことも聞いたこともなかったわい」
宝剣の記述に対し、鍵石というものの認知度はおそらくゼロだ。エスト自身、こんなものを手にするとは思っていなかった。どんな力を秘めているのか、どれほどの種類があるのかすら、わからない。この村で知っている者が居るとしても、緑の石を所持していたアテミスだけだろう。
「そもそも、この剣は誰から貰ったんじゃ。宝剣は役目を終えると消失するはず……」
「……実は、それ、お父さんから貰ったんです」
 村長もまた首を捻る。所詮本の世界に書かれていることには、宝剣がどのようないきさつで勇者の元に渡るか、何処で手に入るのかという情報が全くないのだ。
「『いつかこれを使う時が来る』そう言われて……てっきり、ボクはお父さんが、実は勇者なんじゃないかって思ってた時期もありました」
「そうか……じゃが、同じ世界に、勇者と呼ばれる者は一人しかいないはずじゃ。同じ時代に勇者が二人も存在しているという事実はこれまでないとされておるからな」
「あの、村長さん!」
 謎が深まり始めたところで、エトランゼが声を上げる。
「あの……ヌルって人、知らないですか。私たちの、大切な家族を殺したのは、そいつです。それに、アテミスさんもあいつに……」
「……そのような名前も、聞いたことがないわい。勇者と同じで、魔王の名前も決まっておるから、魔王であるとは考えにくい。それこそ、神に近い存在が本当に居たと判断する以外にないじゃろう」
 確かに、ヌルという存在も、エストは気になっていた。突然目の前に現れ、エストの大切な人を次々に奪っていった忌まわしい存在。だが、確かにその名前をどこかで耳にしたことがなければ、目にしたこともなかった。
 仮に村長が言う通りヌルが神だとする。そう考えると、神は試練を与え過ぎだと愚痴を零したくなった。そもそも、エストは神の存在を信じてはいない。万象を生み出した存在として崇められる神がヌルだとしたら、ますます信じることは出来ない。
「……じゃが、一つ言えることがある。エスト、お前さんに与えられた運命は、これまでのそれとは、格段に重いものじゃ」
 ここで考えていても答えが出ないと考えたのか、村長は片付かない問題を全て払いのけるように言った。
「どの文献を読んでも、勇者が子供であった記述はないんじゃ。おとぎ話の勇者ですら、若き青年だったとされておるのに」
 そのことも、エストの頭には入っている。かっちりとした年齢はわからなくとも、自分と同世代の勇者など、聞いたことがない。力、知識、技術、経験、どれも及ばない状態で、世界を背負ってしまったことへの不安は無いとは言えなかった。ただ、選ばれたものは仕方がない。やるしかないのだから。
「それに……勇者が選ばれたということは、今の時点で魔王が存在していることにもなる。それは……」
「わかってます。それが、誰かってことくらいは」
 今までの勇者と魔王は、完全な対立関係にあった。そもそも、エストたちが住む世界は二つの大陸に分かれている。かつて片方は人間が、片方は魔族が実権を握っていたが、ちょうど三百年前の争いで現在は両方が人間の統治下になっている。
 勇者が現れたということは、魔王が同時に存在している。勇者に対し、魔王の外見はまちまちだ。鋭い爪や牙を持ち、毒を吐く悍ましい魔物の姿だという一説もあれば、人間とほぼ同じ容姿だという話もある。
「……ねえ、待って、エスト。私は全然状況が飲み込めてないんだ……エストが勇者で、で……なら」
「それに、ボクは本人から聞いています。彼が……選ばれた人間である、ことも」
 人間であることを強調し、エストは目つきを変える。心の奥が震えた。ここから先に踏み込むには、勇気が必要だった。脳裏に浮かぶ、二つの表情。優しい笑顔の裏に隠された、悪魔のような瞳。伸ばされた掌の温かさに反する、冷たい言葉。
「……ならいい。ただエストや、今のお前さんの力が魔王の足元にも及んでいないことは、あの一戦でわかっておるな。そのことは肝に銘じておきなさい。護る力だけでは、世界を救うことは出来んからの」
 エストは頷く。掌の上で溢れそうになったペンダントと石を握り締め、胸に当てた。
 隣でエトランゼが崩れ落ちる。
「私は……そんなこと信じないもん……」
 ボクだって。エストはそう叫びたい気持ちを押し殺し、息を吐いた。
 ここでわかったことは、やはりツヴァイは、魔王の冠を被ることになるということ。そして、お互いの立ち位置が正反対のところにあるということだけだった。


 ***


 体調は万全とは言えない。しかし、エストは明日にでも村を出ることに決めた。出来るだけ早く次の街へと足を進めたい。
 村に来た最初の日に使った宿屋で、最後の夜を過ごす。しかし、ずっと眠っていたこともあってか、エストは中々眠りに就くことが出来なかった。布団の中でゆっくりと巡っている悩みを転がしながら眠りに就くのを待ったが、そうは行かなかった。
 慌てて屋敷を出たこともあり、戦いを想定して作られていない服で旅を進めることは心もとない。とはいえ、装備を新調するお金も一切ない。皺だらけになっているワイシャツが疲れたと嘆いている。
 エストはベッドを降りて、外へ出る。真夜中でありながら、火を囲んで陽気に踊っている男たちの姿がある。村へ来たばかりの時の静けさはなくなった。それにまずは、ホッとする。
「おお! 勇者君! 元気になったか?」
 宿屋から出たエストに気付いた一人の村人が声をかけてくる。酒を片手に酔い始めた男の顔は赤く染まっていた。
「え、ああ、はい。おかげさまで」
「一緒に飲むか? 美味いぞ〜」
「あ、ボク、お酒はちょっと」
「そうだな! 君は見るからにすぐ酔っぱらいそうだ」
 子供扱いされた気がして少しムッとした部分はあったが、子供であることに違いはない。唇を突き出して不機嫌さを露わにすると、そこに居る男共は腹から笑い声を発した。
「いやあ、こんなお坊ちゃんに助けられるなんて、俺たちもまだまだだな!」
 馬鹿にされている気がしてたまらなかったが、自分の力を受け入れてくれている人が大勢居ることに安心する。それだけでも、この村を救ったという実感が湧きあがった。
「……でもな、君のおかげで俺たちも、考え直さないとなって思ったんだぞ」
 陽気に飲み明かしているだけだと思っていたが、男は突然真剣な眼差しを向けてくる。周りの人間もそれに応じて、頷く。
「確かに、アテミスの奴がやったことは気に食わねえ……でも、俺たちはあいつのことを何も知らずに迫害しようとした。それに、森の生き物や、自然のことなんて考えてみたこともなかったんだよ。でも、それじゃいけない。折角生かされたんだ、俺たちはこれから、この村を良くするために、頑張っていこうと思ってるよ」
 その反応は些か、不思議なものだった。アテミスの行動を誰しもが憎み、新たな火種が起きるかもしれない、エストはそれくらいに思っていた。しかし、ここに居る人間は違う。これからの不安を抱えながらも、もう一度やり直していこうという気概が、燃え盛る炎よりも熱い情熱が感じられる。
「俺だって、この村が好きだ。だからこそ、もっと知らなきゃならない……この世界のことをな」
 これで、この村のことは大丈夫かもしれないと、ホッとする。一人でも多く味方が居てくれれば、人は案外強くなれる。仲間外れになってしまうようなこともないだろうし、時期尚早かもしれないが、アテミスのことは想像よりも軽い処分で終わるかもしれないと期待する。
「ボクも頑張って、この世界を救ってみせます!」
「おう、期待してるぞ! 勇者君!」
 様をつけてもらえないくらいがちょうどいい。エストは鼻歌交じりで、村を出た。


 エストは一人、清流の森を目指す。一度来た時はエトランゼを助けなければという一心で駆け抜けたため、自然を楽しむことは全く出来なかった。本から得た知識で、この森には人間の体温を感知して輝きを放つ花が生息していると知ったのは随分前のことだ。エトランゼと一緒に来るべきかとも考えたが、エトランゼは酷く疲れているはずだ。その理由で彼女を起こすことはしなかった。
 気分が良くなって、エストは恐れることなく、森へと足を踏み入れていく。こんな自分を花たちも祝福してくれるのだと、錯覚していた。
 しかし、エストが疑問を抱いたのは、森に足を踏み入れてからすぐのことだった。小道の左右で頭を擡げている花々が青い光を散らしてくれているはずなのに、エストが近くへ寄ってみても花は眠りこくったままだ。
 あまり奥へ行ってしまうと、魔物に襲われるかもしれない。しかし、いざとなれば剣の力を借りて一掃出来る。そんなことよりもと、エストは自分の存在を主張するように森の中を駆けずり回った。息が切れても叫び続けた。それでも、花はエストを歓迎してくれなかった。折角貰った村人たちからの応援が、遠い場所から聞こえてくる。
「……ボクはここに居るんだ、どうして気が付いてくれないんだ」
 随分奥まで辿り着いて、エストはただ、立ち尽くしていた。
奥に見えるのは、水源が復活した大樹だった。そこには、懐かしい、光る虫が無数に飛び交っている。帰る家を見つけられたのだろうか、思い思いに闇を照らしていた。その光景が昔のあの日と重なって、急に胸が苦しくなる。そして今日は、ツヴァイが隣には居ない。見向きもされず、孤独に苛まれていく感覚が、瞳を震わせた。その時だった。
「私は、ここに居るよ!」
 驚いて、ハッと後ろを振り返る。溢れるものが流れて来ないように、腕で目を擦った。隣で眠っていたはずのエトランゼが、そこに立っている。ローブの中に着ていた、給仕用の制服姿で肩を揺らしている。普段はおさげにしている筈の髪が一つになって背中の後ろへ垂れ、そんな彼女の後ろの方は、青い歓声に包まれていた。
「エトランゼ、どうしてここに……」
「どうしてじゃない! 勝手に一人になったら、心配するでしょ!」
 握った拳を震わせて、エトランゼは怒っている。それどころか、大きな瞳から透明の粒を流している。エストは悔しかった。肝心なところでは彼女の気持ちを汲み取ってやることが出来ず、自分の異変はしっかりと察知されている。君を守ると、そんなことを言っていた過去の自分が、呆れて頭を掻いているような気がした。これはあの日と、全く同じことだ。
「何しょげてんのよ! エストは泣かないんじゃなかったの!? 強くなるために、笑ってるんじゃなかったの?」
 ゆっくりと、エトランゼが近付いてくる。散々魔力を使い、本来なら倒れていてもおかしくないというのに、彼女は立っていた。しっかりと二本の足で歩いていた。
「……ごめん、エトランゼ」
 どう受け止めていいのかわからず、エストはありきたりな謝罪を口にする。こうして傍に居てくれるのが嬉しい。それ以上に、まだまだ甘い自分が情けない。そんなエストの胸に、エトランゼはしがみついた。
「……謝らなくてもいいから……ただ、お願い……置いてかないで……もう、私が頼れるのは、エストだけなんだから!」
 一斉に蒼水花たちが祝福をあげる。暗闇を照らす青い光が飛び出したかと思うと、星の輝きと同じように、森の中に浮かび上がった。手に触れられそうな夜空が広がって、二人を包み込む。
「私、決めたから……エストの分まで泣いて、怒って、憎んで、悲しむって……だから、その分エストは、私の分も笑ってて……そしたらきっと……私も一緒になって……笑えるから、さ」
 この時にエストが泣いてしまっていたら、エトランゼは幻滅していたかもしれない。
 エストは暴れ出した感情を、抱きしめる形で抑えることにした。胸の近くで鼓動が鳴っている。こんなにも強く、逞しく生きているのだ。そして、温かいのだ。人間の体温を、とても近くで感じられるのだ。これ程幸せなことはない。その幸せごと、全てを押し流してしまいそうになったエストは、無理矢理にでも笑って見せた。これ以上嘘はつけない。これ以上、弱くはなれない。
「……わかった。頑張るよ」
 もう十四歳だ。世の中の少年たちの中には、この歳で働く子も実在する。一時期の記憶が抜け落ちていることが何だ、生活は裕福だったのだ。挫けることもなく暮らせる世界で、息が出来ていたのだ。
 何より、こんなに近くで自分のことを信じてくれている存在があるのだ。嬉しいことはこれ以上に、ないかもしれない。
「頑張ってるのは、知ってるよ。負けないで」
 負けないで。その声が、拡散された輝きと共に、エストの心を打ち鳴らした。その言葉はどうしてか心の中でずっと残っている。それから、幾度となく立ちはだかった敗北の壁を乗り越えるには、その言葉が一番、救いになった。


 ***


「もう行ってしまわれるのですね」
 レミウスが名残惜しそうに荷物を抱えたエストとエトランゼの方を見ている。あの日以来バタバタしていたせいで、彼女の元をエストは訪れることが出来なかった。少し残念なことではあったが、それ以上に嬉しかったことがある。隣には同じ顔、同じ容姿の女の姿がある。丁寧なやりとりを続けるレミウスとは違い、まだ寝起きで気が抜けた顔をしているアテミスは、欠伸を連続で発していた。
「はい。これから一回り大きくなった頃、また戻って来たいと思います。ボクの服も取りに来ないといけないですし」
 これからの旅を続けるにあたって、そんな服ではいけないと言われ、つつましくも店を開けていた防具屋に唯一あった革鎧とそれに合った服や手袋、ブーツを無償で貰ったのだ。皮肉にも、蒼水花が放ったような淡い青色が服の色に使われている。エトランゼは今まで通り給仕服の上からローブを着ているが、次の町で良いローブが買えるようにと、村長からはお金を多く渡された。
「私たちとの約束ですよ!」
「はい!」
「任せてください、エストのことは私が守るんで」
「え、いや、ボクがエトランゼを守ってあげるんですよ! 勘違いしたらダメですからね!」
 エトランゼの言ったことにエストは動揺する。両腕を振って、間違っていることをアピールする。
「エトランゼの方を頼りにしてるぞ」
 しかし、寝ぼけた声でアテミスが追い打ちをかけるように言う。エストは頬を膨らました。
「酷いみんな! ボクだってやる時はやるんだから!」
「はいはい。じゃあまず、綺麗な女の人が近付いてもドキドキしないようにしましょうねえ」
 ご立腹の小さな勇者ではあったが、アテミスの身体が視界を覆うと、顔を赤くした。隣に居るエトランゼが今度は頬を膨らませ、エストの頭を殴った。
「だ、だって……」
「男の子はみんなそう! ホント、嫌になっちゃう!」
「ご、ごめんってば!」
「良いもん、私はエストになんか頼ったりしないから!」
 ついにはエトランゼにそっぽを向かれてしまい、エストはがっくり肩を落とす。折角見送ってもらうというのに、情けない印象のまま送り出されてしまいそうだ。
「まあ、これ、持って行きな」
 そんなエストを見かねて、というわけでもなさそうだが、アテミスから一冊の手帳が渡された。黒い表紙で、さほど使い込まれている印象は受けない。むしろ、買ったばかりの新品のように思う。
「これは……」
「少しの期間だけど、私がヌルと出会ってからのことを記したものよ。正直言って、私がこれから生きていける保証はない。鍵石なんて得体の知れないものを掴まされた代償があるかもしれない。最悪、ヌルに殺されるかもしれないしね。だから、そこに書けることは書いておいた。エトランゼにも少しは伝えてあるから、また聞くと良いよ」
 実際に手帳を開いてみると、見やすい文字が何ページにも渡って綴られていた。それを読むことに夢中になりかけたが、我に返ってエストはそれを閉じる。
「ありがとうございます。ちゃんと、読んでおきますね」
「おうよ。じゃあ、二人共、この世界をよろしく頼むな、って、村長が言ってた」
 村長の見送りはない。ここ数日の疲れが出てしまったのか、体調を崩しているらしい。直接家を訪れたが、内側から鍵がかけられていて、反応はなかった。
「大丈夫、ちゃんと生きてるよ」
 不安げな表情を浮かべたエストのことを察したアテミスが言う。それにエストはホッとする。少し前まで敵対していたとは思えない関係だ。
「そういえば、アテミスさんはこれからどうするの?」
 エトランゼが尋ねる。アテミスから話を聞いていたこともあり、内心心配ではあった。
「罰は受けるよ、この村を、出てはいけないというね」
「……そうですか」
「でも、生かされたんだ。私は。それで十分さ」
 アテミスはとても幸せそうに言う。隣で笑っているレミウスと被って、やはり双子なんだなとエストは思った。
「また、ここへは帰ってきます」
「約束、ね。ずっと、待ってるわ」
 エストとエトランゼはお互いの顔を見合わせると、村を出る一歩を踏み出した。見かけによらず力持ちだったエストが背負っている、旅の為にと持たせた道具が沢山入った鞄のせいで、見送りに来てくれた人たちからはエストの姿は隠れている。エトランゼが何か話すことで、その存在を確認することが出来た。二人の姿が消えるまで、村人たちは手を振り続ける。勇者の旅立ちの姿を、目に焼き付けながら。
「……あの子らには、悪いことしちゃったなあ」
 そして、姿が消えた後、アテミスがぼそりと呟いた。
「仕方ないですよ、それに、私たちも、まだまだやらねばならないことが残っています」
 レミウスは物悲しげな顔をするも、心を落ち着かせてくれるような声で言った。
「そうね……。ただ、やっぱり気付かなかったかあ」
「村長も、それは残念そうでしたね」
「まあ、最後にああして、命を繋いでやれたんだ。きっと、悔いはないだろう」
 二人は振り返る。寂れた小さな村には似つかわしくない、活気の溢れた命が、溢れている。村の外では、育つ野菜たちを待っている命が、溢れている。
「私たちも、負けてはいられないね」
「ええ。一からまた、やり直していきましょう」
 後に続いた男たちの野太い声が、青空を斬り裂いた。
 少年と少女の残した希望は、村一つを再興させるきっかけを持たせた。そんな大層なことがあったなど、エストとエトランゼが知る由もない。



 ***


 ゆっくりと瞼を開く。白い四角の箱の中に閉じ込められているのは、いつもと変わらない。変わっていることといえば、窓がないということだ。
「ごめん、エスト……僕はそんなつもりじゃなかったんだ……」
 壁にぐったりともたれ、ツヴァイは唇を噛んだ。精神が乗っ取られる恐怖は、二度と味わいたくないと思った。
 動こうにも、首輪が付けられている。壁にしっかりと繋がれていて、逃げ出すことは出来ない。おまけに、手首と足首にも鎖が繋がれ、重い枷で動きを制限させられている。
 悔いはない。まだ、ツヴァイという存在のうちに行動が出来る時、二人には会っておきたかった。もう嫌われてしまったかと案じるものの、生きていればそれでいいという結論に達する。
「やっと目が覚めたんだね」
 まだハッキリと意識が戻っていない中で、ヌルの声が耳に届く。じっとりと、ねっとりと這いずって耳の奥へと到達した声は、ツヴァイに震えをもたらした。
「……ヌル……様」
 従順しているつもりはなかった。しかし、様、をつけて呼んでしまったことで、ヌルが嬉しそうな顔をして姿を現した。
「敬われるのは、気持ちが良いね」
 白いマントのみを着た状態で、ヌルは人形のような足を動かしツヴァイに近付いていく。部屋白い部屋の中で見るとわかることは、ヌルの身体は純粋な白よりも、灰色に近いということだ。
「まあ、そんなことはどうでもいいんだ。ねえ、今、どんな気持ちだい?」
 どんな気持ちかと問われて、ツヴァイは真っ先に、エストのことを思い浮かべる。もう閉じ込められることには慣れてしまった。身体の自由を奪われることも、理解が出来るようになってしまった。ただ、どんなに辛いことを強いられていても、大切な人の存在を消すことは出来ない。この手で傷付けた感触が、意識を失った後でもしっかりと残っている。
「エストは……エストは、無事、ですか」
 制裁が待っていると覚悟したツヴァイにとって意外だったのは、返事が返って来たことだった。ヌルは長く細い指をツヴァイの頬に伸ばすと、穏やかな表情で言った。
「ああ、無事だよ。今頃、新しい町に向けて歩き出したところだろう。心配しなくてもいいよ」
 その心配という言葉が、余計にツヴァイを震わせる。きっと裏には何かがある。ヌルのことを一つも信じていないことが逆効果になったか、元気に歩いているエストの姿を想像出来ない。
「まさか……だって……僕は……」
「大丈夫だよ、僕が、加減をしておいたから。死なない程度には苦痛を与えたつもりだよ?」
 玩具で遊ぶ子供の様な、屈託のない瞳が見える。ツヴァイは純真無垢に語るヌルのことが、やはり怖くて仕方ない。異常だと断定する。
「迷ったんだよ、どういう方法で彼を傷付けるかって……ただね、案外彼って面白いね……負けそうになっても最後まで戦おうとする姿勢は、嫌いじゃないよ。むしろ好きなくらいさ。ツヴァイがそうだからね」
 鎖の音しか、部屋の中には響かない。ヌルはその音を楽しむように、ツヴァイの懐へ顔を埋めた。
「ツヴァイ……ねえ、やっぱり君は、彼と戦う意思を持たないの?」
 ツヴァイの背中へと紡がれたヌルの腕が、不気味にも温かい。感じたことのある、まるで太陽のようなそれが、身体中の神経を焦がしていく。
「違う……違う……」
 相手は憎い存在だ。しかし、待ちわびた光にツヴァイの心はどんどん惹かれてしまう。
「これが欲しいんでしょ? ごめんね、気付いてあげられなくて」
「違う……! エストはこんなんじゃないんだ! おい! 違うってわかってるんだろ! こんな温もり、エストじゃないってわかってるんだろ!」
 ツヴァイは自分に言い聞かせるよう叫ぶ。しかし、ヌルによって結ばれた腕が離れることはない。
 胸に顔を埋めている存在が、不思議とエストのように映る。小さな笑窪を作っている彼が、傍に居るような錯覚に陥る。
 しかし、そこに居るのは紛れもない、ヌルという忌まわしい存在だ。頭でわかっているはずが、心が麻痺していく。
「これでも、僕のものには、なってくれないの?」
「ならないよ! 僕はお前なんか欲しくない! 僕が欲しいのはただ一人だ! それ以外……全てが無くなったとしても、僕は……」
 僕は、その続きをツヴァイは言えなかった。


 ぐったりと瞼を閉じるツヴァイを見て、ヌルは一つ息を吐いた。大人びた少年の横顔に一瞥をくれると、冷酷な目に戻る。赤くぎらついた瞳が、ツヴァイの眼帯越しの右目を射抜く。
「さあ、一体幾つ力を与えれば、世界の闇に堕ちるだろう。ツヴァイ、君は完璧に創り上げられた存在だ。この世界を消去出来たとして、僕は君と、共に消え去りたい」
 ツヴァイの意識、いや、身体を乗っ取った瞬間の快感というものは、言葉では表現出来ない。人間と殆ど同じ構造でありながら、彼の身体はヌルの意識によく馴染んだ。肌を切ればそこから赤い血液が流れるが、彼は人間ではない。
 いっそ、このまま奪い去ってしまいたかった。出来ることは限られてしまうものの、ツヴァイの力であれば世界を壊すことなど可能であった。一人、協力者は必要だが。
「でも、ツヴァイ、君が上手く出来過ぎてしまった……。身体能力は去ることながら、高い知能と理性を持っている。人間の心も理解出来る……でも、君だけじゃこの世界は、壊せないんだよ……いや、壊すのが、面白くならないんだ」
 懐からヌルは透明のガラス玉のようなものを取り出した。掌にちょうど収まる程の大きさのそれを、ヌルは宙に浮かせる。
「エルカクォーツ……さあ、まだこの世の闇は、残っているだろう? さあ、未熟な存在に、大いなる力を与えん」
 透き通る球体から、小さな鍵の形をした石が零れ落ちる。それは、瞳から流れる涙のように誕生した。
 ヌルの掌に、橙色の石が落される。嫌いな熱を保ったそれを、ヌルはまじまじと見つめている。
「この色は、失敗作だ」
 しかし、新しく生んだ石を、ヌルは握り潰す。割れ目は鋭く尖っているが、ヌルの手には傷一つない。そのまま足元に破片を落とすと、爪先でねじ伏せるように踏み潰した。
「橙色のクォーツなど要らぬ……こんな色、この世界から消え去ればいい……」
 ツヴァイに聞かれたら色々煩いだろうと想像する。何故、あんな出来損ないに肩入れするのか、ヌルには見当がつかない。しかし、ツヴァイをこの世界に繋ぎとめておくためには、その存在がどうしても必要だった。
「屑石で終わらせられないのは、ツヴァイ、君のせいだよ」
 その声が、ツヴァイの耳に届くことはない。
 そして、繋がれた鎖が解けるのが当分先になることも、この時は知るはずがなかった。




end.
――――――
肝心な謎はもっと別の所にある。だ、なんて。
こうやって伏線貼り始めて回収できなくならないように頑張ります!
というか、そろそろサイトそのものの編集もちゃんとしないとなあ…。




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あきゅろす。
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