短編
花-2010年ナミ誕
メリー号は暴れ馬のような波に揉まれていた。
叩きつける雨と風、そして激しい揺れに一週間耐え、
オレンジ色に上ってくる朝日で、嵐の終わりをようやく告げらた。

その日一日クルーは交代で、死んだように眠りを貪った。


夜になり、ナミは船首にて方角をチェックした後、空と海を見ていた。
いや、その両目は閉じている。
閉ざされた視界で、感覚が鋭くなる。
雲の動く気配。頬に当たる潮風の匂い。海底から響く波音──
彼女にしか感じえない感覚で気候の安定を確信し、安堵の息をつきながら瞼を開けた。

顔にかかる髪を払い、ふと夜空を見上げる。
「…久しぶりね」
今夜は月は無い。空の主役の不在で、いつもは脇役の星達がこれぞとばかりに瞬いていた。

ナミは方角を指し示してくれる星の方が好きだった。
航海学に秀でた彼女は、即座に指標となる北極星を見つける。
それから今の時期にそれぞれの方角を飾る星座を見つけた。

幼い頃──インクと紙のすえた匂いの満ちた部屋で、遅くまで海図を描かされていた。
その中でふと窓から見上げる星に、何度癒された事だろう。
窓を突き破って、あの星の元へ…死んだ養母の所へ飛んで行きたい衝動を堪えたのは、
村の人達を救えるのは自分しか居ないという強い使命感だった。

長く、がちがちに肩を張って生きてきた。
こんなに笑って、怒って、安らげる居場所が出来るなんて──

重い靴音と、カチカチと鞘の鳴る音が聞こえ、ナミは後ろを向いた。
「あら、あんたにしては早起きね。おはよう」
今日一番寝ていた男に皮肉を言うと、ゾロは大口であくびをしながら近づいてきた。

「もう嵐は来ねェのか?」
「とりあえず、明日まではもちそうよ」
「そうか。良かったな」
「え?」

眉を潜めるナミに、ゾロはやや腫れた目蓋を上に上げた。
「明日、おめェ誕生日だろ?」
「──あ」
そうだ。今朝つけた航海日誌にもちゃんと日付を書いたはずなのに、
明日が誕生日という事をすっかり忘れていた。

「…あんた、よく覚えてたわね」
「朝からクソコックが騒いでたんだよ。ありゃ公害だ」
不愉快そうに後ろ頭を掻く。

ナミがそれに気づかなかったところを見ると、彼女の前では普通に振舞っていたらしい。

何となくおかしくて、ナミはぷっと吹き出し唇に拳を当てた。
「うちのクルー、例え誕生者が解っていても、バレないように振舞うわよね」
「サプライズを演出してェんだろ。くだらん」

ナミは大きな瞳で、じーっとゾロを見た。
「なんだよ」
「サプライズとか、あんたが横文字使うと違和感」
「うるせェよ」
仏頂面に更に笑いがこみ上げる。

船長と出会い、二番目に現れたのがこの男だった。
見た目は強面で、戦闘となると通り名の様に野獣のような男だが、平素は穏やかだ。
筋の通らない事で、ましてや女に手を出したりはしない。
その安心感からか、今では好き勝手言い合える仲になっている。

何となく、兄が居たらこんな感じなんだろうか…と思う。
そう考えると、この船のクルーはもう家族みたいなものだ。
ルフィは手のかかる、ウソップは気の合う、チョッパーは可愛い弟で、
アラバスタに帰ったビビは妹。ロビンはお姉さん。
サンジ君は…近所のエロいお兄さんかしら…
色目を使ってくるのは、家族じゃないわよね…

「おいナミ」
楽しい想像から我に返ると、ゾロが面倒そうに言った。
「お前、プレゼント欲しいもんあるのか」
「お金」
「…金以外で」
「じゃあ宝石か黄金」
「…お前な…」
ゾロのへの字口と逆に、ナミは口角を上げる。

「あんた、それよりも私への借金返済が先でしょ?日に日に利子が増していくんですからね。早く返すのよ」
「可愛げねェ女だな。花の一本でも喜ぶ謙虚さはねェのか」
「いやよ。花なんて」
ナミは急に顔をしかめ言い放つ。
「私は花はキライ」
「……」

語気の荒さにゾロは無言になる。
ナミは我に返り、誤魔化すように海に身体を向けた。

「…苦手なのよ。花は──すぐ枯れるから…」
植物と言えども、命は命。
それが散っていくのを目の前で見るのは嫌だった。

ゾロは腕を組み、固いものを秘めた航海士の背中を見ていたが、ふっと息をついて唇を開いた。

「おれも嫌いだったな。あんな儚いもん、愛でるだけ無駄だと思っていた」
歩を進め、ナミから離れた手すりに背を預けた。

「おれがガキの頃──おめェみたいな可愛げのねェ幼馴染が居た。
そいつ、おれより強くて全然女らしく無かったくせに、花だけは好きでよ。
よくこっそり摘んでは道場に飾ってた」
「へェ…」

この男の口から直接過去の事を聞くのは初めてだ。
「その娘の事、好きだったの?」
「…女はすぐそっちに話もっていくよな。
違ェよ。あいつはあくまで俺のライバルで、指針だった。
なのに──階段から落ちて、あっさり逝っちまった」
「え…」

淡々とそんな事を口にされて、ナミは戸惑う。
剣士の横顔からは、何の感傷も浮かんでいない。

「急に消えた命の理不尽さに、ガキだった俺は泣きじゃくった。
一晩経ち、あいつの死が信じられなかった俺は、葬式で参拝客を蹴散らして棺おけをこじ開けた。
──そこには、白い花で埋め尽くされたあいつが眠っていた」

ゾロはやや目蓋を伏せる。
「穏やかで、綺麗だったよ。今でもはっきり思い出せる。
それからだ。花が綺麗だと…枯れても、記憶に残るならそれも良しと思えるようになったのは」
「ゾロ…」

ナミの視線に気づき、ゾロは誤魔化すように咳払いをして顔をしかめた。
「妙な話をしたな。忘れろ」
「…別に妙じゃないわ。この時代…大切な人を亡くしてしまう人は多いもの…」

だからこそ、ふいに脳裏に垂れ込める暗雲に、胸を押える事がある。

もし──やっと手に入れたこの場所が、家族のように大切な仲間達が、消えてしまったらどうしよう。

けして表には出さないようにしていたのに…この男は気づいたのだろうか。

「…ゾロ、あんたってやっぱり獣ね」
「なんだよ藪から棒に…」
「野生の勘って事よ。──ありがとう」

恐れや不安はこの稼業を続ける限り、消える事は無いだろう。
それでも、仲間と出会った奇跡。共に過ごせた日々。
生まれた事を祝福される喜びは、記憶の中で咲き続ける。

突然礼を言われて戸惑う剣士にナミは悪戯っぽく微笑み、うんと伸びをした。
「さて、誰かさんと違って私はあまり仮眠してないから、もう寝るわ」
「おい、結局何が欲しいんだ」
コックに酒を人質にされて聞くように頼まれたのだ。このままでは寝酒が手に入らない。

焦って問うと、ナミはニンマリと親指と人差し指で輪っかを作った。

「お・か・ね」

がくっと肩を落とす剣士に、
「誰に頼まれたか察するけど、明日には飲ませてくれるんだろうから、今日は我慢しなさい」
腰に手を当て諭すように言うと、うう…とお預けを食らった犬のような声を上げた。

「そうだ。明日飲み比べして、私に勝ったら借金半額にしてあげる」
「──本当か。約束だぞ」
元気になった男に片手を振って踵を返す。
「ええ。じゃあね、おやすみ」

それぐらいの礼はしてあげてもいいかもしれない。
無論、負ける気はさらさら無いのだけれど。

夜風に髪を泳がせ、階段を下りる。
ラウンジからは明日の仕込みをしているのか、良い匂いが漂ってくる。

幸せな気持ちで鼻腔と胸を満たしながら視界を上げると、
穏やかに枝を揺らすみかん畑の上に、流れ星が一筋落ちた。


おわり
2010.7.3
Happy birthday Nami



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