「最近、凛と仲が良いようですね」 「……榊さん?」 キッチンで洗い物をしていると、ダイニングでコーヒーを飲む榊が呟いた。 しかし榊を見れば真雪を見ておらず、テーブルに広げた新聞を眺めている。 榊を見れば、さながら独り言のようにも見えた。 だからこそ真雪は確認の意味を込めて榊の名を呼んでみた。 「真雪は凛といる時は笑顔でいる事が多いと、自分でも思いませんか?」 不意に上げられた顔は、視線を並ぶ活字から不思議そうな顔をしている真雪へと向けられる。 「いえ、……そんな事は、ないと思いますけど」 しどろもどろに答える真雪をよそに、榊は静かに新聞をたたんで所定の位置へと置いた。 榊の顔を一見すれば、いつもと変わらぬ優しい表情。 でもどこか劣情を含んだ、歪んだ柔らかさを真雪は僅かに感じた。 「そうですか?私にはそう見えましたけど。気のせいでしょうか」 「気のせいですよ。じゃ、私行きますね」 洗い物を片付け終えた真雪はいつもと雰囲気の違う榊に戸惑いを感じ、シンクから離れた。 リビング、ダイニング、キッチンと間仕切りのない広い空間にいるのにも関わらず、閉塞感を覚える。 そこはかとなく感じる違和感に真雪はエプロンを外す時間も惜しみ、リビング側にあるドアへと足早に進んだ。 榊の後ろを通った、その一瞬。 「そんなに怯えなくても良いですよ?」 榊に腕を掴まれ、止まる足。 長いスカートの裾の揺れが心の動揺にも見え、榊の声に真雪の胸が途端に苦しくなる。 「ただ、少し寂しいな……と思いまして」 そう呟いた榊はレンズ越しの目を不安げにし、真雪に対して憂いの瞳を見せた。 先ほどまで感じていた不穏な空気はなく、その言葉通りの榊の表情。 しかしホッとしたのも束の間。 「その笑顔を独り占め、させてもらえませんか?」 僅かに榊を見下ろしていた真雪は、立ち上がる榊を目で追った。 「榊さん……?」 腕を掴む手に力が入り、空いた手は真雪の後頭部へと回る。 密着する男と女の身体。 身長差があるからこそ顔が密接する事はないが、それでも真雪にとって恥ずかしい思いは変わらない。 咄嗟に身体を離そうと自由な右手で榊の胸を押して顔を反らそうとするが、後頭部を抑える大きな掌はそれを許そうとしない。 それどころか榊に強く引き寄せられた。 「逃げないでもらえますか?……凛への嫉妬で気が狂いそうです」 「さか……えっ……、ンン……」 一度啄ばんだ唇は再び寄せられ、そして榊の舌が歯列を割って絡め取るように口腔をなぞる。 頬に触れる眼鏡のフレームが冷たく感じ、一瞬にして熱くなった身体をより強調させた。 驚きを隠せない真雪は榊の腕の中で身を捩じらせて抵抗を示した。 それまでしっかりと押さえられていた腕は緩められ、真雪は少しばかり離れた榊を見上げた。 「最高の笑顔でいる真雪の側にはいつも、……凛がいました。私はそれをずっと見ていました」 わけがわからないとばかりに真雪は何度も首を横に振る。 しかしそんな真雪を見て見ぬ振りをしているのか、榊は言葉を続けた。 「真雪は気付いていないかもしれませんが、あなただけを見ていた私にはわかりましたよ。凛の事が好きなのでしょう?」 後頭部の手はそのままに、榊に見つめられる真雪はそれだけで身動きが取れないほどにその視線に射止められていた。 |