「芳乃」 「なにー?」 雪代お手製の羊羹を頬張り、食べる手を休めない芳乃は後ろに立つ朱旺に返事をした。 「北東にある赤い池には近付くな」 「…赤い池、そんな池ってあったっけ?」 羊羹を食べ終えた芳乃は満足げに合掌し、お茶を飲みつつ目の前に座った朱旺に首を傾げた。 「水芭蕉が群生している、あの池だ。元は澄みきった水面であったが、最近になって妙な変化を見せ始めた」 「あの水芭蕉の……。ふぅん、わかった、近寄らなければ良いのね」 こんな会話をしていたのはつい一時間前の事。 近寄るなと言われてた赤い池を見てみたいと思う芳乃は、迷う事なく水芭蕉の池を探し始める。 目的の場所に着く事は芳乃には容易でなく、探し当てるのにかなりの時間を要した。 漸く見つけた時には、傾きかけた太陽が赤い水面を益々色濃く見せていた。 朱旺の言った通り赤く濁った池の水に、眉をひそめる。 僅かに漂うは鉄が錆びたような、かな臭い匂い。 一体どうしてこの様な変化を見せたのか、芳乃は不思議な気持ちで池を覗き込んだ。 普通ならば水面が鏡となり自分を映すところだが、赤い水面はその姿を映そうとはしなかった。 「気持ち悪い色……」 目を凝らしても水中を窺う事も出来ず、つまらなさそうに身体を起こした。 風に吹かれて小波立つ水面が、徐に芳乃に向かってくる。 徐々に強くなる風が池の水を大きく吹き上げ、芳乃の顔に飛沫を飛ばした。 赤い水は芳乃の顔にへばり付き、頬を伝いねっとりと流れ落ちる。 「血の……匂い?」 吐き気を覚えた芳乃は口元を押さえ、その場を立ち去ろうと下ろしていた腰を上げようとした。 「もう……の……」 池から聞こえる声に耳を澄ませるが、風に吹かれる葉がざわめきが声を掠れさせる。 「……久しいのう」 風が不意に止み、その音で遮られていた声がハッキリと聞こえた時、赤い水面から二本の蒼白い腕が伸び、芳乃の頬に掌が添えられた。 「漸く、この世に戻れた」 水面から浮かび上がった顔には、池の水以上に真っ赤な唇。 蒼白い肌に真っ赤な唇は気味の悪さばかりが目立ち、弧を描くその様は恐怖の何者でもなかった。 芳乃から手を離し、赤い水を滴らせた女は雫を垂らしながら空中に浮き上がった。 「主のお陰じゃ、礼は言おう。しかしいずれ……」 聞き取れない語尾と共にその姿は霧のように霞がかり、高らかな笑い声を残し、そして消えてしまった。 |