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道化の国
欲しい人1


美咲の前に翳した手をゆっくりと離した。
アレスは薄い笑みを浮かべたまま美咲の顔を窺った。


「美咲、目を開けてごらん」


閉じられていた瞼が上がり、揺らぐ瞳で目の前にいるアレスを見つめた。
半ば意識が混濁する美咲がアレスの問い掛けに反応を示す。


「美咲が欲しい人は誰?」

「私が…欲しい、…人」


美咲の霞がかった記憶に鮮烈に浮かび上がるのは、何処か見覚えのある一人の男。
穏やかな微笑みを携え、手を差し伸べ何か喋っている。

揺れる黒髪がその男のしっとりとした美貌を艶やかに見せ、自分の名前を呼んでいる。
心地好さを感じる声に、微かに覚えのある香りが鮮明に蘇ってくる。

それと同時に美咲の心に、真っ黒な染みが広がる。
得体の知れないモノに、侵蝕される感覚。

アレスに問われた事の答えを探していると、恐怖の何かが記憶の中の男の映像を隠してしまう。


「大事な…何かを忘れてる。甘い香りを纏った…、あの人は誰?」


『貴女を愛しています』


幾度となく聞いた覚えのある言葉。
耳に残る甘く疼く囁き。
瞳を閉じ、その艶やかな声に酔いしれる。

美咲の色付いた頬に、アレスは自分には見せない表情に少しばかり苛立った。


「美咲の欲しい人は、この俺だよ」

「私が欲しい人は…貴方?」

「そう。俺だけだよ、君の側にずっと…。今までもこれからもずっとね」


僅かに伏せられた瞳に、緩く釣りあがった口元を目の前に警鐘が鳴る。
違う、この人ではないと、頭が割れるような痛みがひっきりなしに美咲に襲いかかる。


「違……う…」

「いや、俺だよ」


徐々に近寄るアレスに得体の知れない恐怖を感じ、含んだ笑いを見せる様はそれを増長させた。
アレスは美咲の前に手を翳し、瞳を覆うように肌に触れた。


「よく聞いて。美咲が欲しい人は、この俺」


アレスの言葉が、美咲の耳に流れ込む。
翳された掌に邪魔をされていても、それを突き通す抵抗を許さない魔力を秘めた瞳に縛られ、美咲は指一本動かせないでいた。

見えない視界、唇に柔らかな温度を感じた。



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あきゅろす。
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