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その他
氷菓(盾:仙行)

古ぼけたサッシの向こう、影が降りた空間はひんやりとして冷たかった。

日向から足を踏み入れて、一瞬視界が真っ暗になる。
徐々に慣れてきた目で小さな店内を見渡すと、扇風機が主のいないカウンターへ風を送っていた。

店の奥にある母屋への通路を覗き、すみませんと声をかける。

返事が帰ってこない。
肩を竦めて行は額からこぼれた汗を拭った。

いくら客がいなくてもこれじゃ盗んでくれと言っているようなものだ。

呆れながらも鄙びた商品から飲み物と網を探し出す。

網があった方が便利だとはいえ、こういう場合釣りに誘った当人が買いに行くべきじゃないか。

お前の方が若いんだからというよく分からない理屈で、自分を川から追いやった彼の表情を思い出して思わず仏頂面になる。

こういう時だけ歳を持ち出すなんて卑怯だ。
乱暴に飲料水のペットボトルを籠に突っ込み、母屋を振り向く。

まだ主は出て来ない。

溜め息混じりに外を仰ぐと、入り口の横に小さな冷蔵庫を見つけた。
何となく覗くとひやりと冷気が立ち上る。

中には色とりどりの鮮やかな色をしたアイスが入っていた。
その中の1つが目に止まり、行の動きを止めた。


開け放たれた窓から風が吹き抜けて髪を攫う。
涼やかな風鈴の音が店内に響いた。


風があの夏のそれに重なる。


冷蔵庫を開けてそれに触れると、あの時と同じ冷たい感触が掌に伝わる。


1度食べたきりのその味を、多分自分は一生忘れないだろう。


「それが欲しいの?」
振り向くと前掛けをした老婆がカウンターに立っていた。

「いや…」

違うと言いかけて、老婆の目尻に刻まれた皺が深まるのに口を閉ざす。

自分でもそれが欲しいのか欲しくないのか分からなくなっていた。

当惑しながらアイスを戻し、網と飲み物の代金を払って出口に向かう。

「ちょっと待って」

老婆がゆっくりとした動作で冷蔵庫からあのアイスを2つ取り出した。


持っていきな」
「でも」
「いいから」

渡されながら応対に困っていると、老婆はくしゃっと笑った。
殆ど見えなくなった目を見てふっと力が抜ける。

『お前は遠慮してよくいらないって言うが、有難うって素直に貰うのが1番相手は嬉しいんだぞ』

そう言った彼の苦虫を噛み潰したような表情を思い起こし、僅かに口元が緩む。

「じゃあ、遠慮無く頂きます…有難う御座います」

「いえいえ、連れの人と食べなね」

ペットボトルの数で人数を知ったのだろう。改めてお辞儀をした行に、老婆は笑顔で頷いた。

「ほら、急がないと溶けちまうよ」

ぱんっと軽く背中を叩かれ、行は勢いで数歩飛び出した。
慌てて振り返り、アイスに一瞬を目を落として、思い切ったように老婆に問いかける。

「何で、アイスくれたんですか」

店へ戻りかけていた老婆は曲がった背中のまま顔だけ振り向かせ、
「それを見た時あんたが、店に来て初めて笑ったからだよ」

と変わらぬ笑顔で言った。


「そのまんま行きな、仏頂面よりずっといい」

目を見開いていた行は次の瞬間、困った様に微笑んだ。

もう一度老婆に向かって頭を垂れ、勢いよく川に続く坂道を駆け出した。


急ごう
きっと彼は退屈して、川縁で寝ころんでいるだろうから

左手の冷たい感触。
腕を伝った水滴が飛んで綺羅綺羅と光る。


彼は覚えているだろうか


…覚えてなかったら、只じゃおかない

そう呟いて、行は小さく微笑した。





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