空(助けられた猫のお話)
Celestial CatZA
本当にそうなら、
どれだけ良かっただろう。
もう可能性すら、きっと。
「…もう、彼女はー…」
「じゃあさ、祈ってみれば?」
鬼鮫の言葉を遮るように、目の前に差し出されたのは青々とした一本の笹の枝。
飛段を見れば、隣の竹藪からな、と悪戯っぽく笑ってみせた。
「お前らに何があったかは知らねぇけどさ、ここまできたら、いっそ神頼みっていうのもアリなんじゃねぇのォ?」
ああ、織姫は神サマじゃねぇか。
そう笑った飛段の瞳は驚くほどに真摯な光を帯びている。
彼女は少し声のトーンを落として小さく呟いた。
「これでも…心配してんだぜ、俺も、あいつもな」
飛段の視線の先には、何事も無かったように書面に目を通している角都の姿。
鬼鮫は小さく頭を下げると、差し出された笹の枝をそっと受け取ったのだった。
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ぽた、と徳利から零れた透明な滴が小さなグラスに吸い込まれていった。
そのグラスを手にとった鬼鮫は恭しくそれに口を付ける。
少し強めのアルコールが、じりっと喉の奥を焼いていった。
『…諦めきれてねぇんだろ』
飛段の言葉が、
耳に残って離れない。
諦めきれてない。
そんなことはない、はずだった。
何より、
望んでいいはずもない。
私を助けるために彼女は、
消えてしまったのだから。
そう思って、
確かに蓋をした気持ち。
夜空にも似た色のグラスをくるりと回す。
透明な清酒の面には切り取ったような三日月が鮮やかに映り込んでいた。
無理なことはわかっている。
一年も前に、
あの金色の少女に言われたこと。
もう会えない。
その言葉を、
噛み締めてきたはずだった。
でも、駄目だった。
深い紺色の絹を敷いたような夜空には、甘やかに白く輝く月と無数の星の群れ。
イタチさん、
やはり私は、
あなたが好きです。
苦しいくらいの夏空の下で、
アスファルトの鈍い熱を感じながら泣いたあの日に、
もうきっと、
堪えられないと気付いてた。
固く閉ざしていたはずの蓋は驚くほど簡単に外れて、涙と一緒に地面に弾けて消えてしまった。
もう二度と、
閉じることはないだろう。
なんて身勝手なこと。
欲深で、救いようもない。
わかっている、けれど。
どうしても、どうしても。
やはり、私は、
あなたと一緒にいたい。
あなたと一緒に生きていたい。
鬼鮫は飛段から貰った笹の枝をそっと額の上に翳した。
夜空に流れる無数の星がその青い葉の間から零れ落ちそうなほどに煌めいている。
無理なこと、
そうかもしれない。
けれど、もしも。
一枚の短冊に託された言の葉が、夜空を流れる星の河に私の想いを届けてくれるというのなら。
私はそれに懸けてみたい。
願いは、ひとつ。
一目でもいい、
どうか、あなたに、
もう一度。
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サァ―…
「…?」
いつの間に眠ってしまっていたのだろう。
何かに呼ばれたような気がして、鬼鮫はふと瞼を上げた。
ぼんやりとした意識の中で、開けたままだった窓の外を見遣る。
「…?、…」
さっきまで、
確かに降ってなかったのに。
静かに注ぐ雨の音が耳の内へと流れ込んでくる。
その雨粒がベランダの柵を穏やかに打つ音が、鬼鮫を再び、眠りの世界へと誘っているようだった。
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