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空(助けられた猫のお話)
Celestial CatT(鮫イタ)





あの時。


もしも、
雨が降っていなかったら。

もしも、
車のライトが眩しくなかったら。


もしも、あの時。
暗い闇の中に目を落としていなかったら。





それが、
たとえ定められていた運命だったのだとしても。



あなたに出会えたことは、

私にとって、
何にも代えがたい奇跡だった。




Celestial CatT




ガチャン、とケースの中の麦酒瓶が鈍い音をたてた。
それを床に置いた鬼鮫は積み上げられた箱の山を見て、小さく息を吐く。


明日のパーティ用の酒はこれで全てのはずだ。


「終わりか、鬼鮫」
「ええ」


壁に凭れながらケースの山を眺めていた男は、搬入用の資料に目を通している鬼鮫に声をかけた。
鬼鮫はその男に顔を向けると、申し訳なさそうに笑う。


「助かりましたよ、角都さん。本当に人手が足りなくて」


角都と呼ばれた男は軽く首を竦めると、マスクの下で唇を歪めた。


「人手がどうこうは知らんがな、お前が金を払う内は働くさ」


それだけ言うと、角都はさっさと扉に向かって歩き出した。
一度振り返って、苦笑している鬼鮫に軽く手を挙げる。


「雨が酷いぞ、お前もさっさと帰れよ」


扉の向こうへ消えた角都を見送った鬼鮫は、足元にまとめておいた数本の空瓶を拾い上げる。


これを片したら帰ろう。


鬼鮫はそれらを空のケースに入れると、裏口のドアに手をかけたのだった。



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「…本当に酷いですねぇ」


叩き付けるような土砂降りだ。
アスファルトに弾けた雨粒が、鬼鮫の服の裾を濡らしていく。


「早く帰りましょう」


自身の声さえ掻き消されてしまうような雨の中で、鬼鮫は持っていたケースを暗い廃棄場に重ね置いた。



刹那。



「…!」



車のライトが目を射る。
雨で濡れたコンクリートの壁が鏡のように光を反射したらしい。

あまりの眩しさに、
鬼鮫は咄嗟に顔を背ける。



そして、見つけた。



「…?」



ぼやける視界の先、

それは暗闇の手前に堕ちていた。


薄汚れたボロ屑のように、
力無く横たわっている。



黒い、猫。



「これは…」


鬼鮫は自分が濡れるのも構わずに屋根の下から出ると、その猫をそっと掬い上げた。
一緒に、水を含んだ衣も拾い上げる。


まるでこの黒猫が纏っているようにも見える衣ごと胸に抱いた鬼鮫は、恭しくその身体に触れた。


長い時間、雨に打たれていたのだろう、黒猫の身体は氷のように冷たかった。


けれど、まだ息をしている。



まだ、生きている。



気が付いた時には、鬼鮫はその猫を抱き抱えて、自分の車に乗り込んでいた。


助けたいと思った。


鬼鮫はぐったりとした黒猫を助手席に寝かせる。
車にエンジンをかけた時、黒猫の瞼がかすかに震えた。


一瞬だったが、
確かに瞬いた黒猫の瞳は、夜目にも鮮やかな紅の色をしていた。



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「さて、と…」


雨に濡れていた黒猫の身体を拭った鬼鮫は、その身体を自分の上着に包むと、そっとベッドの上に載せた。
先程よりも穏やかになったように感じる呼吸に少し安堵する。


そして、その猫が纏っていた衣を手にとった。


「これは…何なんでしょう」


泥に塗れてさえ、清らかな色彩を放つ紗。
向こう側が透けて見えるくらい薄いのに、その手応えはしっかりと感じられる。

見た目よりも、随分と丈夫な作りのようだ。


この猫の持ち物なのだろうか。


首輪の無いところを見ると、おそらく野良猫だろう。
こんな上等なものを一体何処から持って来たのだろうか。


そこまで考えて、鬼鮫は一度首を横に振った。


何にせよ、
これはこの猫の物なのだ。


根拠の無い確信に頷いた鬼鮫は、その衣が汚れていることを思い出す。


「……綿…、絹でもないし、麻でもない、やはり…手で洗ったほうが…」
「それを、どうするつもりだ」


突如かけられた声に、鬼鮫ははっと振り返る。


そして、言葉を失った。




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あきゅろす。
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