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空(助けられた猫のお話)
Celestial CatYA





「…イタ、チ…さ」


少しずつ、だが確実に、
熱を失っていく腕の内の小さな身体。

それはきっと、
雨が彼女の身体を濡らしていくからだ。


そう、思いたかった。


「…イタチさん…!」


生命の灯火が消えゆくように、だんだんと緩やかに、より小さくなっていくイタチの呼吸。


ダメだ、どうして。

どうして、あなたが!


頭は煩いくらいに言葉をたきつけるというのに、華奢な身体を抱いた身体はただ震えるばかりで動きもしない。


無力な自分。


鬼鮫の頬を伝い落ちた雫は驚くほどに熱を帯びて、イタチの目元に弾けた。


「き…さ、…め」
「…っ」


今にも消え入ってしまいそうに微かな声が自分を呼ぶ。
その白い唇から零れる鮮血が顎を伝って、そして、銀色の十字架を朱に染めていった。


「…俺、は…ずっ、と―……」








わななく唇が紡いだ言葉は、
雨の音に掻き消えた。


そう、例えば、

まるで氷が溶けるように、
或いは霧が消えゆくように。

まるで雨の日の夢のように。



彼女は、

消えてしまった。




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鬼鮫は煌めく紗を丁寧に箪笥の中に戻した。
気持ちを切り換えるように、うんと背筋を伸ばす。


「…さて、と…」


鬼鮫はそっと窓を閉めると、今は使われていない部屋を後にした。
居間の食卓に置いておいた鍵をとって、階段を降り始める。
少し刺の目立ち始めた階段に手を加えなくてはと考えながら、階下に出しておいた酒のケースに手を掛けた。


今日は搬送の仕事があとひとつ、残っていたはずだ。


鬼鮫はそのケースを軽々と持ち上げると、店の暗がりから外へと出た。

瞬間、太陽の光が目を射る。
鬼鮫は手を翳して空を見上げた。


室内から見るのとは、
また格別に違う力強い陽射し。

そして、まるで絵の具を零したように鮮やかな晴天の青。



イタチさん。

あなたもどこかで、
この青空を見上げているのでしょうか。




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「イ、タチさ…?、そんな、イタチさん…っ」


今まで、確かに腕の中に在ったはずのぬくもり。
その微かに残った感覚さえ掻き消すかのように、細かな雨が降り注いでは鬼鮫の腕を流れ落ちていった。



「まだ、私は…あなたに…っ」



言いたいことがたくさんあった。


けれど、

ありがとう、も、
また出掛けましょう、も。


好きだという言葉さえ、


伝える相手がいなくては、
何の意味もない。


あなたがいなくては、

何の意味も。



鬼鮫は視線を落とした。
イタチの血に染まった赤色の煉瓦の上には、銀色に煌めく小さな十字架がひとつ。
持ち主を失ったそれは、取り残されたように静かに雨に打たれていた。


その十字架を震える手で拾い上げた鬼鮫は、掌に血が滲むほどに強く、それを握りしめる。


そして、駆け抜けたのは、
疼痛にも似たひとつの悔恨。


「イタチさん…!」


言葉を吐き出す咽が痛い。

身体も、心も。

まるで火に曝された刃を、
身体中に押し当てられているかのように。

どこもかしこも、
痛まないところはない。



何も出来なかった。

二度も、私は。

あなたを死なせてしまった。


私はあなたに、

救われたのに!



渦巻くような痛苦は、
言葉にならない哀痛を伴って。

私はただ、あなたの名前を、
叫ぶことしかできない。



そして、

気が付く。



どうしてだ、あれほど、
喧騒に満ちていた世界の中に、


自分の声しか、

響いていないのは。




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