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吐く息が白かった 3

 そうして千里は甘えてしまう。求められるのだから、それでいいのだ、と。そうしておいて、結局逃げ出すのだ。例え相手に束縛されなくても、結局重さには耐えられない。
 千里は千聡が好きだった。今までの誰よりも、好きだった。けれどそれは曖昧な関係がもたらした感情なのか、それともこれが重荷に耐えられる「好き」なのか、それがわからなかった。

(千里さん)

 ふたつ年下の千聡は、いつも千里をさん付けで呼んだ。やわらかな声音で発音されるには似つかわしい呼ばれ方だった。その声が、愛しかった。あの声で千聡が他の誰かを呼ぶことを考えると悲しかった。
 行列はのろのろと進む。砂利を踏みしめて、寒さの中をみんなが少しずつ少しずつ進む。騒ぎながら、また、恭しく。
 祈ることを考えながら歩くのか、足取りが遅いことを気にしている者はあまりいないようだった。これはもしかしたら初詣ならでは、かもしれない。
 緩やかに、けれど確実に進んだ行列の、一番前になってもまだ、千里は迷っていた。祈るべき言葉を忘れてしまった。何も浮かばない。空っぽだった。

(千聡)

 ここにいるはずだった彼は、本当にこの人混みの中にいるのだろうか。そして、誰といるのだろう。
 賽銭を投げ入れ、鈴を鳴らす。二礼二拍手一礼、と千里は頭の中で朧気な記憶で思い出す。正解かどうかもわからなかったが、自分なりの敬意でまぁいいだろうか。
 かみさま。

 千里は、自分が何を祈っているのかよくわからなかった。わからなかったけれど、ただ祈った。
 それは滑稽なことだったかもしれない。それでも千里は静かに祈る。
 神に願えば祈りが叶う、とは千里は思わない。思わないが、効果がないとも思わない。神は、自分の願いを否定も肯定もしない。だから、人は、祈りを伝え、願う。黙って聞いて貰えるだけで、歩こうと思えるような気がするから…。

(千聡)

 祈るともなく、心の中で名前を呼んだ。これは神に祈るべき願いではなかった。どうせ駄目になるのならいっそ全てを打ち明けてしまえばいいのだ。理解してもらえるかどうかもわからなかったが、それでも。くだらない意地などはらずに、私の好きは中途半端だしすぐなくなるかもしれないけれどそれでもいいか、とまではっきり訊いてしまうくらいすればいいだけの話だった。
 本当は、それだけの。
 でもそれができなかったからここにいる。理解されずに失うことを恐れた結果、何も伝えずに失おうとしている自分に、今この時になって千里はやっと気付いた。

 最前列から退いてみると、破魔矢やくまで、おみくじ、お守りなどを買おうという人達の波に今度は飲まれた。けれど先刻のお詣りの列に比べたら整然としておらず、みんながそれぞれに好きな方向に歩いていた。けれど何となくそこには流れがあり、その途中に立ち止まって動かない人影はかなり目立った。
 お守りなどを買う人を待つ影、おみくじを結ぶ影、しばらく動かずにいる人も、少しすれば動き出す。千里はそれを何となく晴れがましく、微笑ましい気持ちで見ていた。
 羨ましさもあった。誰かと一緒に過ごす、優しい正月の姿がそこにはいくつも見えていて、千里はここにいない千聡を否が応でも思い出す。
 本当は一緒に迎えるはずだったこの瞬間を、思った。

(千聡)
(ごめんね、千聡)

 この人混みのどこかで、千聡は誰かと優しい正月を迎えたのだろうか。

 もし千聡に会えたら…、と千里は静かに思う。
 今この場所に、千聡がいて、ひとりだったら。
 自分は何を望むだろう。
 失わないために好きだと嘘をつく気にはなれない。でも全てを話せば失うかもしれない。でも話さなければ確実に失うのだ、どちらにとっても、一番ひどい形で。

(千聡)

 自分で叶えるべき願いであることはわかっている。電話でもメールでも。けれど、無意識に祈っていたのは、千聡のことばかりだった。

(千聡)

 止めていた足を動かし始めた。お守りやおみくじに、千里は用がなかった。露店を見て、何か温かいものでも買って、入り口付近でされていた焚き火のそばで食べよう、と思う。
 けれどそうして歩き出した千里は、またすぐに、足を止めた。
 それは、今祈ったばかりのかみさまのちからを、信じてみようかと思う、一瞬。


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あきゅろす。
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