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吐く息が白かった 1

 たくさん着込んで少し丸くなった体で、まだ暗い内に玄関を出た。
 ジーンズの下に、オーバーニーの靴下をはいたから暖かいけれど、何だか膝が窮屈で、少し切ない気持ちになる。お気に入りのショートブーツをはいた足で、なるべくそれを忘れるように早足で歩いた。
 年が明けて5時間、このあたりでは有名どころの神社への道へは、テールランプの行列ができていた。その横をすいすいと歩いて追い越して行くのは気分がいい。
 ひとりで歩く道のりは少し淋しく、けれどひどく気楽だった。きっとこの気楽さを幸福に感じてしまうから、いつも相手に淋しさを抱かせてしまうのだろうと、気付いてはいたのだけれど…。

 それ以上考えることを自分に禁じ、千里(せんり)はどんどん足を早めた。
 ひとりで歩いていれば、多少のお誘いくらいは貰える程度の容姿を千里は有していたが、けれどそれが功を奏したことはない。よく言えば堅そうな、悪く言えば愛想のなさそうな雰囲気をもまた纏っていたからだ。
 千里はそれを好都合だと思っている。面倒に巻き込まれないなら、それが一番だった。ナンパされて喜ぶほど乙女回路も発達してはいない。
 周りに聴かせているわけでもないけれど、聴こえても構いはしない、という音量で、千里は歌いながら歩く。ジャズスタンダードでも、ロックでも、バラードでも、思いつく限り、どんどん歌った。道のりの半分位に達するまでに、少し息が切れてきたが、その分体は暖まり、声のノリは気持ちよくなった。

 誰とも歩調を合わせず、誰とも言葉を交わさず、淡々と歌いながら進める新年の道のりは、今年を象徴するのかもしれないと千里は思う。これが幸福だと認めてしまえば、楽になれるのかもしれない。諦めてしまえば、努力をやめてしまえば、それだけで楽になれるのかもしれない。

 本当は、ひとりで初詣に行く予定ではなかった。5時に待ち合わせをして、相手の持っている折りたたみ式の自転車2台で行くつもりだったのだけれど、3日前に少しすれ違ってしまってから連絡はとっていない。事前の約束の時間まで家で待ったがやはり連絡はなく、結局千里はひとりで家を出たのだった。

 千聡(ちさと)とは、今年のーー否、去年の秋に知り合った。千里の名前を読み間違えて、僕と同じ名前ですね、と言ったその出会いを、千里はまだ忘れてはいない。
 ーーそれは、多分どちらにとっても他愛のない出来事だった。仕事上での出会いでしかない、ただ、名刺を交換した時の軽い失敗談になる程度の。
 けれどあの頃、友人のコンパ熱に負けて、千聡の会社の人達とのコンパを組み、何度かにわたって飲む内に、ある日、間違いは起きてしまったのだ。
 もう寒くなりはじめていた時期だから、12月に入っていたと思う。そうして、付き合っているのかいないのか曖昧なまま何度も会い、何度も躰を重ね、その距離感が気持ちよかった千里は、千聡が思いつめていることになど気付かなかった。
 初詣の話で盛り上がった電話の最後、約束の時間も決めたそのあとで、千聡は呟くように言ったのだ。


 ……千里さんは、俺を、好き?

 と。

 ありきたりで陳腐で、しかも今更な科白だと千里は思った。思ったけれど、とっさに二の句が告げなかった。そして、千聡も何も言わなかった。
 そしてーー、電話は黙ったまま切れたのだった。
 まるで、返事をできなかった千里を断罪するかのように。
 終話の音が電話の向こうに鳴り響くのを、千里はしばらく呆然と聞いていた。千里は、電話を切り、充電器につなぎ、眠った。いつも通りに生活した。電話をかけ直すこともせず。
 電話は鳴った。いつも通りに。ただ、千聡からは一度も鳴らなかった。そうして、大晦日はきて、年は明けた。
 ひとりで、静かに、千里は新年を迎えたのだった。
 そして、今に至る。



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あきゅろす。
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