大学生と講師のシリーズ
2
目の前でカシャカシャパチパチ、まだ続くタイピングに半ば呆れながらも、早智子は当たり前のように、部屋の片隅にある細口のホーローのポットの中に水があることを確認すると、その下のコンパクトIH電磁調理器のスイッチを入れた。
誰かに貰ったのだというそのセットは、松下が使うには可愛い、白地に黒の花柄がついているものだった。松下がこのポットを手にしているのを見る度に、早智子は何となく微笑ましい気分になる。
(誰に、貰ったのか)
(聞きそびれちゃったけど)
早智子は松下の横顔を見る。松下はまだ気付かないのか、キーボードがせわしなく叩かれ続けている。
お湯が沸くまでの時間に、カップを二つ取り出し、フィルターをセットし、お店でひいてもらったコーヒー豆をスプーンで二杯。慣れた手つきでそれをこなす。
もうひとつ、早智子は自分の鞄の中から取り出した「お茶請け」を皿に載せる。
キーボードの音ばかりが響く部屋の中に、少しずつ沸騰するお湯のしゅんという凛とした音が混ざり始めた。
早智子は充分に沸騰したお湯をゆっくりと豆に注ぎ、淹れながら香りを楽しんだ。
(……そろそろ、かな)
いつもならそろそろ、気付く。
香りで。
「……三浦さん?」
やっぱり、と、思うと同時に、予想が当たった自分がほんの少し、誇らしい気持ちになる。
緩む頬をきゅっと懸命に引き締めて、早智子は淹れたてのコーヒー二つと、「お茶請け」の皿をトレイに載せて、松下のいるテーブルまで運んだ。
「どうぞ」
「ああ、ありがとう」
松下がキーボードを横に避け、そこにトレイがおさまる。早智子は当然のように、入り口付近から折りたたみ式の丸椅子を持ってきて、松下とテーブルを挟んで九十度の位置に座った。
「試験結果、見に来たんですか」
「はい、大丈夫でした」
「そうでしょうね」
「一年、ありがとうございました。また来年も、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
松下は笑うと底意地が悪そうな顔になる。その笑顔が、早智子は一番好きだった。
三十二歳、独身。背はそんなに高くない。ひどく痩せている。彼女の有無は不明。
(きっと家でもこんな感じに)
(ごはん、食べなかったり、しそう)
基本的に「いい人」には見えない、顔。意地悪そうな笑い顔。皮肉屋。
(かっこいいなあ)
髪の毛は、ほったらかしにして伸びちゃった、って感じで、前髪も襟足も長めになっていて。
(かっこいい)
見た目は多分、かなり……昼行灯な、感じ。でも、話がうまくて、他人に厳しい分自分にも厳しい、頭のいい、人。
そんな人が見せる無防備さがーー例えば集中してる横顔とか、コーヒーの匂いで早智子がいることに気付いた時の、あの一種とぼけたような名前の呼び方とかーー、早智子はたまらなく好きだった。
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