大学生と講師のシリーズ
揺れる、揺れる(4年7月) 6
「ここから、一人で、帰ります。来てくださって、ありがとう、ございました」
早智子は、綺麗な背筋でお辞儀をした。松下の中で、警鐘が鳴り響く。
(帰すな、)
(絶対に、)
あの日。
早智子の様子がおかしかったあの日も、こうして早智子は去った。背中を向けて。そして、今、また、去ろうとしている。
「――帰らないで、」
松下の口から、するりと声が出ていた。早智子が、俯いたまま小さく首を振ろうとするのを、松下は両の手を伸ばして留めた。
てのひらに触れる水の気配に、松下は無理に早智子の顔をあげさせた。
「……、なぜ、」
「――っ」
ひどく苛ついた仕草で松下の手を払いのけようとした早智子の腕を、松下がつかむ。顔は俯いたが、早智子の右腕は松下の手の内に残った。
腕を引き抜こうとする早智子のちからが弱くなるまで、松下は待った。
俯いた顔の表情はわからない。けれど足下にぽつぽつと、小さな水滴がおちていく。早智子はそっと、顔を覆った。
「車で、話しましょう。もう、終電には間に合わないでしょう」
早智子の肩を抱くようにして、松下はそっと車へと歩かせる。存外素直に早智子は従い、車の助手席にすんなりと座った。
車の中は、夜とはいえ、蒸している。松下はすぐにエンジンをかけた。
「……車、出していいですか、」
早智子からの返答はない。松下は早智子の膝の上から鞄を取り上げ、後部座席に置いても、彼女は何も言わなかった。
(こんなに、なるくらいなら、)
声も出さずに、けれど顔を覆ったてのひらをはずすこともできずにいる早智子をそっと見やる。
(弱く、脆く、なるくらいなら、)
間にあるサイドブレーキやギアが邪魔だったが、松下は彼女をそっと引き寄せた。左肩のあたりに早智子の頭が触れる。
(もういっそ、)
じわりと感じる涙の熱に、松下は腕のちからを強めていた。抱え込むように、早智子の頭を自分の肩に押し付け、松下は口を開く。
「――早智子さん、」
静かな静かな、声だった。びくりと震えた肩を、逃げようとする早智子の身体を、むしろ力を込めて引き止めた。
「ごめん、このまま、聞いて」
早智子から返事はなかった。けれど逃げだそうとする体の力は抜け、松下に頭を預けたのがわかった。
それが早智子の意思表示だとわかると、松下は静かに続けた。
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