大学生と講師のシリーズ
揺れる、揺れる(4年7月) 4
無機質にエレベーターの停まるポン、という音が鳴る。早智子はまだ背を向けたまま、今度は「開」のボタンを押した。
「お先に、どうぞ」
小さくかけられた声に、松下はただ従う。今度は、松下が早智子に背を向ける番だった。早智子も続けてエレベーターから降りる気配がした。けれど、足音が続かなかった。
「……、どうしたんです?」
松下は、振り返らないまま静かに訊いた。彼女のためではない、ただ、自分のために。
「……、せんせい、は、」
おそらく泣いているのだろう早智子を、松下は見たくなかった。見るのが、見てしまうのが、怖かった。
「どうして、私に、こんなふうに……」
震える声を無理矢理に凛とさせた早智子の声が、静かに聞こえる。松下はまだ、振り返ることができないままでいた。
「やさしく、するんですか」
逃げられない問いを、早智子が投げかける。けれど松下は、振り返らない。
(……ガードを甘くすると、)
(きみを、食べてしまうよ、)
泣かせるくらいなら、いっそ、手の内におさめてしまいたい、と、松下の中でいつも叫ぶ心がある。
頑なで、しなやかな早智子が不意に弱まれば弱まるほど、松下の中の「男」は牙をむいてしまう。
(泣くくらいなら、僕を、)
(きみのものにすればいいんだ)
早智子も、もう、何も言わなかった。ただ、かすかに、泣く気配がした。
(きみを、)
(ぼくのもの、に)
声も出さずに泣く早智子から、けれど時折吐き出される、深い吐息は震えている。それが何だか艶めいていて、松下の鼓動が、つよくつよく、鳴った。
(振り返って、)
(抱きしめて、)
(キスをして、)
ひどく簡単な愛情表現の手順は頭に浮かぶ。浮かぶけれど、それをしてしまったらもう元には戻らない。
(中途半端が、つらいなら)
松下はそれでも構わないとは思う。けれどそれを押しつけられるほど、彼は怖いもの知らずにはなれない。早智子に託し、返された答えに、松下は少なからず傷ついていたからだ。
(もう、充分、待っただろう?)
とうに互いの気持ちなどわかりきっている。その自信は常にあった。だからこそずっと、ただ、待った。待ちさえすれば、時間は過ぎる。もどかしい距離を楽しむことさえ出来た。けれどそれは、早智子が揺れなければ、の、話だ。
(つらいと、認めて、)
(いっそ、足を踏み出して、)
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