大学生と講師のシリーズ
揺れる、揺れる(4年7月) 1
時刻は午後十時半を少しまわったところ、コーヒーショップの前。早智子がアルバイトを終え、外へ出てくる。
「おつかれさま」
そう、声をかけた。静かに微笑んだつもりの表情でそれをした松下に対し、微かに困惑した表情ではい、と答えた早智子が、そこにはいた。
「カフェモカと、カフェラテ、どっちがいいですか、」
そのくせ、何事もなかったかのように微笑もうとする早智子に、かすかに苛立ちを感じる自分を無理矢理に飲み下した。けれど、それを敏感に感じ取ってしまうのか、早智子はびく、と肩を震わせる。
(伝わってしまうのか、)
(ーーこんな些細な、変化まで)
松下はそのことに少し驚き、そしてひとつゆっくりと息をついた。苛立ちをおさめるため、そして、静かに話し出すために。
「カフェラテ、」
「はい」
ほっとしたように早智子が笑う。
(あ、)
(笑った、)
久々にそれを見た気がした。松下もつられて少しほっとして、今度は自然に笑うことが出来た。
研究室に顔を出しても、授業で顔を合わせても、彼女はよく、顔を伏せるようになった。あの日、ここからの帰り道、泣かせた日から。
手を伸ばしてカフェラテを受け取った松下は、そのままの流れで、彼女の荷物をそっと奪い取る。早智子が、男に荷物を持たせることを当たり前とは思わない女性であることなど、松下は重々承知だ。それでも荷物をさりげなく奪い取ったのは、逃げられないための予防策でもあった。
「あ、それ、」
早智子が言いかけた言葉はすぐに予想がついた。
「すごく重い…ですよ」
予想通りのその科白と、言葉通りにひどく重い鞄に小さく苦笑する。
「本当、何がそんなに入ってるんですか、」
苦笑まじりに訊ねると、また早智子が笑う。それに気をよくして、松下はゆっくりと歩き出す。
「重いから自分でって、言おうとしたんですよ、わたし」
早智子の足音が背中に続く。人の少ない街に、早智子のかたいヒールの音が、綺麗に響いた。
「重いからこそ、持たせたらいいんです」
「なかなか、そんな風には、」
「思えない?」
「はい、」
背中越しに交わされる早智子との会話はスムーズだった。明らかに避けていた時が嘘のようだ。
「だって私の方が丈夫そうですよ、先生よりも」
「……、ええと、さすがにそんなことは、ないと思いますよ」
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