大学生と講師のシリーズ
温度差(4年6月) 5
尚も拒む早智子に、松下が強い声で言い放った。早智子はびくりと全身を震わせ、黙る。松下はひとつ大きく息をついてから、話し始めた。
「そんな、何を言っても上の空で、ずっと泣きそうな顔をしていて、大丈夫だなんて言わないでください」
今度はひどく静かな声だった。
はっとして早智子が松下を見上げる。松下の顔を、久しぶりにちゃんと見たような気がした。
松下は多分、本気で怒っている。表情も声も静かだったけれど、早智子にはそれがわかった。
冷たい空気に、身じろぎもできない。けれどその冷たい無表情はひどく美しく見え、早智子は目が離せなかった。
「僕が気付かないとでも?」
なぜ、と聞く間もなく松下はそう答える。早智子はまだ、何も言えなかった。
何を言ったらいいのか、もう、わからなくなっていた。卑屈になっている自分も迷っている自分も、知られたくはなかった。
詰まった喉の代わりに、ばらばらと涙がこぼれ落ちていく。早智子はまた、俯いた。
(見られたくない)
口に出来ない気持ちを、泣けば伝えられると思っているみたいで、ズルをしているみたいで、早智子は、その涙を見られたくはなかった。
「……、車が近くにあります」
静かに告げられた言葉に、早智子はそれでも従わず、首を横に振った。はらはらと涙が落ちて、暑さで渇いたコンクリートにわずかに染みをつくる。
「なぜ?」
もっともな質問だった。
作り笑いも出来ず、なぜと訊かれても泣くことしかできない。優しくされて嬉しいのに、素直になれない。迷ってばかりで、卑屈になって、挙げ句、甘えた子供のような仕草をする自分が恥ずかしくて、悲しかった。
「どうして、泣いているの」
松下の声が柔らかくなり、早智子はすみません、とだけ口にする。
「……すみません、」
二度目のすみませんを早智子が呟いたあと、松下がしゃがみこんで、早智子が落とした紙コップを拾った。
「謝らなくていいんです」
「……すみません、」
「早智子さん、謝らなくていい」
「でも、わたし、」
「いいからきいて」
はい、と答えることもせず、早智子はただ次の言葉を待った。松下が静かに静かに、言った。
「……中途半端が辛いですか」
思考より言葉より先に、早智子は首をあげて松下を見ていた。泣き顔を見せられない、と思っていたことすら忘れて。松下は早智子を見て、軽く苦笑いをしたようだった。
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