大学生と講師のシリーズ ざらついた平穏(4年6月) 6 お互いに顔は見ないまま、早智子が左手で松下の右腕にそっと触れると、松下の腕も少し、ぴくりと震えた。 「……過保護、ですか」 途方に暮れたように呟く松下の震える腕を、早智子は小さな子供をなだめるように、優しく優しく、撫でた。ごめんなさい、と心の中でとなえながら。 「嬉しかったです。本当に」 「……、」 「私はあのこが怖かったから。先生の背中がどれだけつよいのかも、広いのかも、知れたから」 松下の腕に沿って早智子は左手を下にすすめる。松下の手の甲に早智子の指が触れると、松下はまたぴくりと震えた。 「……でも、一人で立たなきゃいけなかった。あのこが言ってました、逆効果だって。私が……先生の弱点だって思われるのは、悲しいです」 「ああ……」 「だから、大丈夫です。彼女が、わたしに何かをしてきたとしても……、」 早智子は松下の顔を見上げる。気配に気付いたのか、松下も早智子を見た。小さな棘の気配はまだ残っていたが、いつもの松下に戻りかけている。早智子は笑いかけた。 「それは先生のせいじゃありません、あのこの問題。矛先が私に向くなら、戦うべきは私なんだと、思うから、」 「……でも、僕は……、君に傷を付けられたくないんだよ」 小さく吐き出される優しい本音に、早智子ははじめて自分から松下の手を握った。もとより冷え性気味でつめたい手が、緊張でなお冷えている。松下が小さく苦笑して、その手を握り返した。 (甘えて、背中に隠れて、) (優越感に浸るなんて、) (私には、出来ないから) あのこは綺麗で、つよくて、行動力もある。やりすぎの感は否めないけれど、魅力的な雰囲気は確かにあった。自分よりも彼女を選ぶひとがたくさんいるだろうことも、早智子はわかっている。 (でも、) (このひとは、) (譲れないから、) 繋いだ手が、少しずつ少しずつ、松下の手の温度と溶け合って、温まる。骨ばった手なのに、いつもとても温かいその手を、早智子は他の誰にも譲りたくはなかった。 「……、あたたまってきたね」 松下がそう呟く。早智子ははい、と返事をした。 「コーヒーを飲もうか」 「はい」 いつも通りに微笑んで、二人は繋いでいた手を離す。松下がコーヒーフィルターをセットしはじめ、早智子は鞄からマドレーヌを取り出し、皿に並べる。 (……譲らないから、) 早智子は、記憶の中の中村に告げる。多分、また、彼女とは会うだろう……、それは、確かな、予感だった。 けれど今は、 二人で、コーヒーを飲もう。 何もなかったみたいに、 静かに、笑い合って。 20090518 もう、何回書いてもしっくりこなくて、今までの中で一番時間がかかりました。 さて、このあと、うまく転がるかな…。 [*前へ] |