大学生と講師のシリーズ
理性と人肌(4年8月) 6
「僕は、きみの倫理観とか、理性とか、つよさとか、そういうものを、大切だと思ってる」
早智子は、運転している松下の横顔を見つめる。
「僕は、立ち止まるためには、覚悟や、努力や、信頼が必要だと思う。そのほうがずっと、困難だと。本当に、本気だというなら相手のことを考えて、立ち止まれるだろう、とも」
「……とまれないのが、本気、ではない?」
「そうだよ、早智子さん、例えばきみ、さっき僕にあのまま先に進まれたら嬉しい?」
「さっき、って……」
途端に、先刻松下の腕の中にいたのだということを意識して、早智子は体中が熱くなるのを感じた。
「あの……あの、バス停の?」
「そう、きみの倫理観とかまるで無視して、例えば今から……ホテルの駐車場に、車が、停まったら?」
早智子は、背筋につめたいものがはしるのを感じた。今まで、そんなことを考えたことすら、なかった。それでも、静かに、慎重に答える。
「……いや、とは、多分言えない、です、多分、嬉しいとも、思います、……けど……」
「それがね、本気ならとめられない、って理屈の行動だよ」
「……!」
「それは、それで、悪いことじゃない。でも――僕ときみには、似合わない。ただ、それだけ。だから、考えすぎないで」
松下の左手がくしゃりと早智子の髪を撫でる。早智子ははい、と返事をしていた。
「……信じて」
松下が小さく最後に付け足した言葉は早智子に響き、彼女はまた、少しだけ、泣いた。
松下はただ黙って、車を走らせる。
やがて、泣き止んだ早智子が、口を開いた。
「……、先生も、信じて、くれますか」
松下は笑う。早智子の好きな、一番好きな笑い方で。
そして、告げる。
「信じます」
早智子もそっと、微笑み返した。
(とめられないのが強い愛なら)
(それをとめるのは、)
(強い、理性と、)
(強い、信頼、)
運転中、あまり使わない松下の左手が、早智子の右手を捉えた。
(でも、)
(それだけじゃ、)
(さみしい、ときもあるから)
赤信号で車がとまると、どちらからともなく、くちびるが、触れた。
(人肌、恋しい)
早智子の心臓がひどく高鳴る。松下のくちびるは、冷たく、やわらかかった。触れるだけのキスなのに、不思議なほど幸福で満ち足りていて、離れてしまってもそれは残った。
「……今のはとまれなかったな……」
ひどく弱く呟く松下の声に、ふっと早智子が笑うと、松下は意地悪そうに微笑み、二人はもう一度、キスをした。
100306
8月終わり。
次は旅行です。
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