大学生と講師のシリーズ
理性と人肌(4年8月) 5
松下が小さく呟くように謝罪し、早智子は声にならない思いを、首を横に振ってあらわす。
松下はまっすぐ早智子を見て、続けた。
「……でも、こんなふうに……簡単なんだよ、本当は」
早智子も視線をそらすことはしない。しばらく沈黙が落ちた後、早智子は自分が泣き出したことに気がついた。松下は、少し困ったように微笑んだ後で、小さく呟く。
「……車に、乗って」
そうして、先に運転席のドアを開けた。早智子が無言のまま車に乗り込むと、松下がすぐに車を発進させた。
発する言葉も見つけ出せずに、早智子は少し、戸惑っていた。
(かんたん、)
その言葉が、頭の中をまわる。どうしたらいいのか、どうしたいのか、わからなかった。
「……きみが悩むことなんて、ないよ」
松下が優しい声音で、運転しながら告げる。だから早智子は、はい、と返事をした。
そして、松下の横顔に問いかける。
「……先生?」
信じていたいから。
「私が、していることは」
終わらせたく、ないから。
「まどろっこしい、無駄なこと、ですか?」
隠して笑って耐えても解決しない。そのまま今日投げ出せば、次はいつ話せるのかも、わからない。
それを、知っているから。
「ああ……そうか、そういう風に聞こえてしまうんだね」
松下が困ったように呟き、そして信号で車がとまる。松下の左手が、早智子の髪をふわりと撫でた。
「誤解するような話し方をして、ごめん」
松下がぽつりと、呟いた。
青信号になり、車はまた走り出す。
「……下世話な言い方をするし、きっときみにとっては失礼なことも言うだろうけれど、」
そう、前置きをして。早智子ははい、とだけこたえた。
「きみを、僕のものにしようと行動するのは、簡単なんだよ。チャンスはいくらでもあるし……、きみはきっと、困惑はしても、拒みはしないだろうと、思うから」
早智子が返答に困っていると、松下は左手を軽く挙げて、その答えを遮った。
「でも僕は、きみに困惑されたくない、わずかでも不信を残したくないと思う、だから――、行動を起こすときにはいつも、慎重にしているつもりです」
早智子のぼやけた視界で、きらきらと様々な色、かたちのライトが揺れる。
「僕のやっていることは、本気の恋愛ではない、と、きみは、思う?」
「……、おもい、ませ、ん」
「それと同じように、僕はきみが本気じゃないなんて、思ったことは、一度もない」
早智子は鞄からハンドタオルを出すと、涙を拭いた。
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