大学生と講師のシリーズ
甘く、香る。 3
「あ、三浦さん、座って」
「あ、はい、失礼します」
「うん、お湯が沸くまでに話すからね」
そう言うと、松下はまた元の席に座って、足を組んだ。
(細いなあ……)
不健康そうにも見える松下の痩せぎすな体は、羨ましくもあったが、早智子は何だか見ていると切ない。誰かに大事にされている感じが、しない気さえするのだ。
「僕ね」
早智子の感慨とは関係なく、松下が話し出す。早智子はその顔をまっすぐに見た。
「恥ずかしい話なんだけど、論文書き出しちゃうと、まわりが全然、見えないんだ。ノックも話してる声も全然、聞こえないし……、だから〆切当日とか、授業の前とかは気をつけてるんだけど」
松下がふと目を伏せ、のばしっぱなしになっているらしい前髪が、その表情を隠す。早智子はそれを覗き込みたい衝動を抑えるのに必死だった。
(きっとあどけない)
(困った顔)
(誰も知らない顔)
(してる)
早智子は、それをすごく見たいと思った。そんな松下を、誰も見たことのない松下を、知りたいと思った。
(誰も知らない)
(私しか、知らない)
(私だけーー)
ーーそれは、不意に、やってきた。
恋情。
愛情。
欲情。
切ないのに愛おしい。
恋しいあまりに泣き出してしまいそう。
痛み。
疼き。
震え。
そうして喉元までせりあがるようなこの、想いが、
「すみませんでした、三浦さん」
行き場をなくして、逃げ場をなくして、
あかいあかい、血液と一緒に、体中を駆け巡り、
花、ひらく。
「ノックをして返事がなかったら、入ってきて構いません。コーヒーも、自由に淹れてくれていいし、本棚の本も好きに読んで下さい。すぐに使うものは、いつもこちらによけてありますから」
早智子は、微笑んだ。
他に何も言えなくて。何を言うことも出来ないほど、体中に想いが広がってしまって。ただ、微笑むことしかできなくて。
けれど松下はそれを見て安心したかのように、椅子から立ち上がる。ふと気付くと、しゅん、とお湯の沸く音が聴こえていた。
(先生)
慣れた手つきでコーヒーを淹れ始める松下の指は、細く長く、骨ばっていた。
(どうしよう私、)
(この人が、好きなんだ)
(好きに)
(なってしまったんだ…)
早智子はただ、松下の指を見つめていた。自然な仕草でコーヒーをドリップし、カップにうつした。
手渡されたコーヒーは、
かぐわしく香り、胸を焼くほど熱く、
ーーけれど、
とても、
甘かった。
20090311
出会い編から3ヶ月くらい経っています。夏休み前のレポートの提出。つまり、初の試験レポート、といったところです。
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