大学生と講師のシリーズ
5
松下のいるテーブルにそれを持って戻ると、ソーサーを外し、カップだけを、松下の右手の指が触れるすれすれの所に、そっと置いた。
そのまま、向かいの席に座り、早智子は松下を見ながら、松下のためのものだったらしい、冷めきったカフェモカを飲み始めた。
(私でも、)
(心をどこかに、)
(飛ばせる、よね)
早智子は、ほんの少し、笑う。
(彼女じゃ、なくても、)
目の前が彼女じゃなくなっても、気付かないんだから。
そう思うと、早智子は嬉しかった。
醜い感情だとわかっていたけれど、それでもなお、嬉しかった。
(先生、)
(私は、知ってるんだよ)
甘いコーヒーを自分では選ばないこと。
今は休み明けの授業の準備が楽しいこと。
濃いコーヒーの香りが好きなこと。
熱くて濃いコーヒーを飲むと、不意に我に返ること。
気付いて貰えないコーヒーを飲ませるための方法。
泣いても喚いても怒鳴っても聞こえないこと。
(みんな、知ってるん、だよ)
松下の指先が、エスプレッソの入ったカップに触れ、熱に驚いたようにぴくりと震えた。そのあと、持ち手の部分を探して彷徨い、そして、つかんで、口へと運んでいった。
(熱くて、濃いよ、先生)
啜るようにして僅かにコーヒーを口にふくんだ松下が、それを飲み下すのを、早智子は少し、笑いながら見た。
ん、と、急に変化に気付いた松下の視線が、きょろきょろと周りを見回したあとで、早智子を真っ直ぐにとらえた。
「……三浦さん」
松下は少し困惑した声で早智子を呼んだ。早智子はまだ、何も答えないで、微笑んで待っている。
松下は、頭の中を整理し終えたのか、ひとつ深呼吸をしてから話し出した。
「三浦さんは、どうしてここに?」
「ここ、私のアルバイトしているお店なんです」
「ああ、そうなんですね」
小さく頷いた松下は、ぐしゃりと髪を握り締めるようにしたあと、
「……三浦さん、聞きにくいんだけど、」
「はい」
「僕、ひとりじゃなかった……ですよね」
「はい、女の方と」
「……」
頭を抱えて黙り込む松下がおかしくて、早智子はまた、小さく笑う。松下はそれには気付かないようで、まだ、少し考えているようだった。
「ちなみにね、先生、」
早智子が軽やかにそう告げると、松下は頭を抱えるのをやめ、すっとまっすぐに早智子を見た。
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