大学生と講師のシリーズ
夜道(4年9月) 3
中村からはずした視線は、そのまま美加をとらえる。美加の目の奥にはつよい光が見える。早智子はそっと微笑して、口を開いた。
「代わりに怒らないで」
しずかに。
「その権利を私から奪わないで。甘やかさないで」
その科白に、美加が目を見開く。早智子は美加の肩に今度こそ触れた。ぽん、と、軽く一度だけ。そして、中村の方へと向き直る。
「しないわ、私は」
ごく自然な声音で、早智子は中村へと言葉を投げる。
(先輩にはできないでしょ)
卑屈な声音で吐かれた科白に、早智子は静かに否定の言葉を投げた。中村がやけに嬉しそうに微笑む。早智子はそれに微笑みを返してから、もうひとつだけ、つけたした。
「そんな必要、ないもの」
それは、中村に向けた早智子の精一杯の皮肉だった。
実際には、なにひとつ自由にならない恋だ。中村ほどの度胸がないと言われればそれまでだけれど、会うこともままならないふたり、だ。
けれど。
(それでも、しあわせだから)
(二度と、手を、離したくないから)
中村の嬉しそうな笑顔が一瞬で曇り、歪み、そして、消えた。俯いた彼女の表情は読めない。こちらを見てもいないだろうこともわかっていたけれど、早智子は最後まで微笑を消さなかった。
「――もういいでしょう?」
そう問いかけても、中村は微動だにしない。早智子もそれ以上問いかけることもしないで、くるりときびすを返して歩き出した。美加がすぐにそれを追ってくる。中村の足音は聞こえなかったけれど、早智子は早足のままですいすいと風を切って歩いた。夜になっても衰えない暑気を肩で振り払うように、早足でただ歩いた。美加も黙ってついてきた。
はやく離れたかった。
彼女の前に立っていたくなかった。
お目当ての店の前まで来て、やっと早智子は美加を振り返る。美加はわずかに上気した頬で、はっと一息に吹き出した。
「怒ってんだ」
そう言って、彼女は笑った。早智子は困ったように微笑んで、うん、と答える。
「怒ってるよ」
美加はまた、声にして笑う。二人並んで店に入ると、中はつめたく冷えていた。お目当ての酒瓶を、缶を、次々にカゴに入れながら、二人は店内を歩く。二人で飲むには一見多すぎる量を買い込んで、店を出た。
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