大学生と講師のシリーズ
午後、バスの中で(4年9月) 3
(だいじょうぶ、ですよ)
そう言って笑うことしか出来なかった早智子の、少しぎこちなかった笑顔が瞼に浮かぶ。松下は右手でこぶしをつくると、自分の眉間を軽く小突いた。
美加に電話をかければ、早智子につながることは簡単なことだとわかってはいる。けれどそれをしたところで、何の期待にもこたえられない。結局、中村と一緒にいるということをわざわざ知らしめることになるだけだと、松下はそれも思いとどまる。
瞼の裏の早智子が囁く。
甘えた声で。
(まってるから)
ごめん、と松下はそっと返事をする。胸の内に。
ただただ、ごめん、とだけ。
瞳を閉じたところで眠気がやってくることはなかった。けれど誰にも声をかけられることもなく、静かにただ座っていられた。
中村に声をかけられるまで、松下の瞼の裏には早智子が静かに笑っていた。幸せそうな、可愛らしく笑う早智子を思い出そうと試みてみたけれど、現れるのはぎこちない笑顔ばかりで、松下はいたたまれない気持ちになる。
(――みて、ないんだな)
いつもぎこちなく優しく、早智子は笑っている。他の笑い方をしている時もあるはずなのに、けれど、その顔ばかり何度も何度も浮かんできてしまうのは、きっと普段からその顔が多いからなのだろう、と、松下はそっと思う。
(笑えない、んだな)
そのことに、ごめん、と松下はまた、小さく胸のうちで呟く。その言葉にすら、瞼の裏の早智子は優しく、ぎこちなく、どこか泣きそうな顔で微笑んだ。
「確かめる勇気もない」と口にするしかない切なさを、泣きそうにしか微笑めない痛みを、申し訳ないとは思っても、最早彼女の手をはなすことはできそうにない。
中村と連れ立ってバスを降り、彼女と静かにその場所についての薀蓄を語り合いながらも、胸の電話が気になった。けれど結局、携帯電話はもう、鳴らなかった。
中村のグループの学生達からも。
そして、美加からも。
100714
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