大学生と講師のシリーズ
もうひとつの旅の始まり 5
(……参ったな)
少し、胸が痛む。
どうしてやることもできない。
なんとなく直視できないままでいた。
(できることなんて、何もない)
優しく声をかけることも。
抱きしめることも、髪に触れることも。
逡巡しているうちに、早智子がすいと目の前に来た。
「――せんせい?」
早智子が震えた声で――きっと、松下と美加位にしかわからないかすかな震えではあったけれど――、そう、呼んだ。その響きに、肩が震えそうになる。
「……早智子さん?」
早智子を呼んだその声は、情けなく揺れていた。
「……、すみません」
他に投げられる言葉が見付からない。静かに、謝ることしかできなかった。
いとおしい分、ひどくかなしい。
「……先生、」
早智子はそれでも松下に笑いかけようとする。
「だいじょうぶ、ですよ」
けれどそれは、ひどく、ぎこちない。
松下はそれを、苦い気持ちで見る。
責められた方が、泣かれた方が、いっそ気が楽になれそうな笑みだった。
けれど彼女は、しないだろう。
しないだろうと、わかるから。
「ごめん」
ほんのわずかに唇を歪めて、松下は笑みの形を作る。不自然な笑みになったことは否めない。
「――嫌な思いを、させている」
そう、静かに告げることが精一杯だった。
彼女はおそらく気付いているだろう。まだ何も話していなくても。中村がここにいないことに、慌てて出て行く松下の行動を当てはめない訳はない。
けれど。
「だいじょうぶ、ですよ」
早智子はそうくり返して笑う。笑うほかに何もできないから。
彼女の聡さが、プライドが、つよさが、そうすることしか許さないから。
松下は気付かれないように、つよく左手を握りしめた。
「――うん」
そうして、なんとか、言葉にしようとする。
大丈夫だ、と。
何もできないけれど。
できないから。
「何の心配も、要らないから」
「――はい」
早智子の静かな返事に、松下は息をつく。
(……、ごめん)
苦く苦く、それを思った。
愛おしいと思うのに。
かわいそうだと、思うのに。
どうすることも、できない。
(ごめん)
言葉を尽くして説明するべきだろうか、と、松下はわずかに悩む。
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