大学生と講師のシリーズ
旅の始まり(4年9月) 4
だから早智子も、同じ言葉を繰り返した。
少しでもマシに、笑えるように。
「――うん」
松下が、静かに頷く。
「何の心配も、要らないから」
「――はい」
早智子も静かに返事をした。松下がほっと息をつく。
(……、中村さん、なんだね)
松下の声音ひとつ、気遣いひとつで、それがわかってしまう自分が、誇らしくもあり、悲しくもあった。
(迎えに、行くの?)
松下がそれをしたからと言って、疑う気持ちがあるわけじゃない。何も変わらないとは言っても、自分が特別なことくらい、早智子もわかっている。
(でもそれでも、)
(――不安、なんだ)
それがわがままだと、わかっていても。
(行かないで)
陳腐で、くだらない、叶えられないものだとわかっていても。
(あのこのところに)
頭に浮かぶ、声。
(行かないで)
浮かんだ声を、けれど、早智子は告げない。
「――先生?」
ただ、静かに呼んだ。はい、と真摯な声で返事があった。すべての気持ちを込めて、早智子はほんの少しだけわがままな言葉を吐く。吐くことを、自分に許した。
「はやく、戻ってきて、くださいね」
思っていたより、甘えた声が出た。
「まってる、から」
付け足すように告げると、松下が息を飲むのがわかった。少し間があいたあとで、松下が、ただ小さく、うん、とだけ応えた。
会話は繋がらないのに離れ難くて、早智子は耳を澄ます。松下が微かに笑う気配がした。
「――、ありがとう、また、あとで」
それが、最後の言葉だった。早智子が返事をするより前に、松下はきびすを返す。ありがとうの意味はわからないまま、聞き返す暇も与えられないままに。
無機質な靴音が、遠ざかる。
淡い色のシャツの、細い背中が、するすると遠ざかっていくのを、早智子は見送ることしかできない。
(行かないで……)
多分、松下は気付いていただろう、と早智子は思う。
それでも彼は、行くだろう。
(――わたしだけの、あのひとじゃ、ない)
深く息をついて、くちびるをかたちよく整えた。
微笑んでみえるように。
(でも、わたしの、)
(すきな、ひと)
閉じた自動ドアから、目を離す。
自分すら騙すみたいに、微笑んだままで。
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