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「ネズミ!!おめでとう。」
紫苑が勢いよく飛び付いてくる。
「あんた大丈夫?頭、逝かれた?急に抱き着いてきたりして。」
ネズミは冗談半分に呆れてみる。
紫苑は離れない。
「――…いい加減、離れろって」
「離れない!今日からネズミは僕のものじゃなくなるんだから最後くらいいいでしょ?――ってか?熱いねぇ、紫苑。お前らキモい。」
イヌカシがおえっと吐く真似をする。
「そんなんじゃないよ、イヌカシ。僕はただ…ネズミが幸せになれるなら、親友として精一杯祝おうと思って…」
紫苑がいつも通り親友だの言い出すとイヌカシが呆れた様子で頭を掻いた。
「はぁ?いつから俺はあんたの親友になったわけ?何度も言わせるな。西ブロックでは…―――」
「紫苑のことは親友って認めない癖に、ミユのことは自分のテリトリーに入れるんだ。こりゃぁ大層のお熱の入り様だな、ネズミ。」
イヌカシがネズミを煽ると、ネズミはいつものように交わすでもなく、それに便乗する事もなくあっさり認めた。
「あぁ、そうだな。」
そう言っていつも、誰にも油断なんてみせなかったネズミが笑みを漏らす。
相手をせせら笑うのでも、わざとでもない。
心から。
紫苑はそれを自分達を信頼してくれているからなのか刹那、悩んだ。
それは嬉しいことでありながらも、何故かネズミとゆう存在を壊していく―――
そう思ったのは紫苑だけではなかった。
イヌカシはどこかしらでネズミらしくないと感じたのか、呆れきって「あんな奴の何処が言い訳?」と呟いていた。
「あいつは…」
「ネズミの――特別なんだろ…?僕だってそのくらい見てればわかる。ミユはいい人だから。」
紫苑の言ういい人がどんな人かはわからないが、俺にとって、ミユは今まで会った奴らと違った。
いや、確かに紫苑との出会いも生活も新鮮だった。だが、ミユと過ごす日々は森の民だった頃の時間の流れに少し似てる。
「それにしても、ネズミ。ほら、折角の晴れ舞台何だし…着替えなよ。」
「はぁ…。だから、何年経ったらあんたのそのデカイ脳は覚えるわけ?ここはNO.6じゃない。」
「もう…!わかってるってば、ネズミ。僕が言いたいのは――ほら、さっき言った親友として精一杯祝いたいってこと。」
紫苑は隠していたタキシードをあらわにする。
「あんた…どこでそれを――まさか盗み?」
「違うよ、ネズミ。イヌカシと力河さんとで買ったんだ…ネズミにって。」
紫苑がニコニコと笑みを浮かべて笑う。
さっきまで呆れた様子だったイヌカシも少し照れ臭そうに顔を背けた。
「―――悪いけど、俺は着ない。売り直してこれば、まだきっと金にはなるだろ?」
そんなネズミの言葉を聞くこともなく紫苑とイヌカシはお互い見合って頷く。
「「せーっの!!!」」
イヌカシに取り押さえられ、紫苑に無理矢理、服をぬがされる。
いきなりの事とはいえ、やっぱりネズミは油断していたから、僕らなんかにあっさり捕まった。
「…何?二人して。紫苑あんた正気?」
少し恐れた様子でネズミが問う。
紫苑の腹黒い笑みに圧倒される。
「大人しくこれに着替えてくれたらこんなこと、しないよ?」
ネズミは渋々といった様子で、紫苑とイヌカシを振り払い紫苑の持っていた服を奪い取りおもむろに着替え出した。
「案外すんなりでつまんねぇの」
「――たとえ、どんなに抵抗してもネズミなら絶対、着てくれるってイヌカシもわかってたから、一緒に買ってくれたんだろ?ネズミは僕らの気持ち、わかってくれてるだろうしさ。」
ネズミがバサッと音を立てジャケットを羽織った―――町の服屋でなかなか値段を引き下げてくれないおばさんから、力河さんが無理矢理安値に引き下げて買ってくれたもの。
お金は僕とイヌカシと力河さんとで貯めた。
そんな高価なものじゃないけど、ネズミが着た途端、一張羅のスーツに大変身。
ネズミの艶やかでサラサラな黒髪とその瞳の灰色を際立たせるグレー。
「うわぁ…やっぱり君って、」
紫苑は真面目にネズミをしげしげと観察しながら言う。
そして顔を赤らめたかとおもうと口をつぐんだ。
「ネズミがなんだって?紫苑?」
「なっ何でもないよ!!ただ…」
イヌカシと紫苑が追い駆け回ってイヌカシの家のホテルの埃が舞う。
「――白状しろ。」
イヌカシが紫苑を取っ捕まえて頬を引っ張る。
「ぃっいはいよ、イヌはシ。」
「ははっ。紫苑、あんたすげぇ顔。ほら、ネズミ。見ろよ」
イヌカシの背中に隠れていたマヌケな顔が現れる。
ネズミもイヌカシも腹の底からゲラゲラ笑った。
―――ただ…君がすっごくかっこよくみえたから。
◇◆◇
「もう、行くのか?」
夜が更け、朝焼けが誰よりも一足早めに昇ろうとしているとき、ネズミが出ていく音を紫苑は聞いた。
だから呼びかけた。
そうしたらその薄く形のよい唇にそっと指を添えて、シッと言う。
そして、ドアの隙間から姿を消した。
「ちょっと…ネズミ!」
紫苑はネズミのいつも肩身離さず持っている布が忘れられてるのに気付いて、出来るだけ音を立てないように、それを持ってネズミの後を追って部屋を出た。
「ネズミ。」
壊れたホテルの残骸の中で、いまいま昇ろうとしている太陽をネズミが見詰めていた。
その姿は明るい太陽が昇ろうとするのとは反対、ネズミの姿は消えていく闇を紛れそうだ。
「不思議だよな。あんたも含めてだけど、誰も信用したりなんかしないって思って生きてきたっていうのに―――こんな話までになるなんて。」
ネズミの表情は見えない。
「始めは自分のつくってきた世界や生き方が変わっていくことが怖かった――だが、あんたも…ミユも勝手に俺の世界を壊して作り直していった。あんたとミユに出会ってから、溜息も自然につくし自分のものとも思えないくらい笑えた。」
ネズミが微かに笑ったのが見える。
「僕は君に何にもしてあげれてない。ネズミに助けてもらってばかりだった。君が変わったっていうなら、ミユが君を変えたんだ。」
ネズミがゆっくり振り返る。
距離があるし、逆光だからそのしなやかな動きのシルエットしか見えない。それでも僕にはそれがネズミだと、もっと離れていたってわかるだろう。
「――…それに変わってしまったとしても僕にとってはネズミはネズミだし、ネズミは嫌がるだろうけど、君は僕にとっては特別なんだ。変な意味じゃなく、家族、兄弟、親友…どんなものにもなりえる存在なんだ。」
ネズミは真剣な顔をしていたけど、少し笑いを零した。
「――恋人にも?」
「…からかわないでくれよ。これでも僕の精一杯の表現なんだ。」
ネズミの手がすっと伸びて来て、肩に手をついたかと思うと口を開いた。
「あんたの思いは伝わったよ。数年前のあんたの言語能力じゃわからなかっただろうけど、あんたも成長したし、俺もあんたの言葉になれたのかもな。」
文句を言い返そうと思ったけど、ネズミの視線が僕の手に注がれているのに気付いて、僕は文句のかわりになったものを言った。
「これ、忘れてただろ?」
そういうと、ネズミは一瞬驚いたように目を見開き瞳を細めた。
「俺にはもう必要ない。あんたにやるよ。」
「でも、いつも肩身離さず纏って――」
「あんたが一等級の逃亡犯だったから、いつ狙われるかわかんなかったから、つけていただけだ。それにこれからはあんたに必要になるだろ?」
ありがとう。と呟きながらも紫苑の中の不安は少しずつ拡大する。
「紫苑。あんたに感謝してる。」
今度は紫苑が目を見開く番だった。
「何、その顔。」
「いや、ネズミにそんな言葉を言われる日がくるなんて思ってもみなかったから。」
紫苑は嬉しそうにクスクス笑う。
「それって俺が素直に感謝のことばも言わない奴だって言いたいわけ?」
「そうじゃないけど…ミユにはたくさん、素直に思ってることいいなよ?夫婦になるんだからさ。」
「そのくらいのこと、あんたに言われなくてもわかってる。」
ネズミがふて腐れたようにフンと鼻を鳴らす。
「もう行かなきゃ、ミユ、きっと待ってるね。」
「あぁ。」
ネズミが腕を上に伸ばす。
あぁ、今日はすっごく空が晴れ渡って綺麗だ。
「じゃぁな。紫苑。」
「ぅん――…ネズミ!!結婚おめでとう!」
縁尾に身を包んだネズミの後ろ姿はとても大きく見えた。その背中がどんどん遠ざかり、朝もやに消えていった。
「どうか、二人で幸せに。」
(2008.12.10)
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