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小咄
大切な君と…




練習試合の帰り、俺がモタモタしていたせいで、1本電車を乗り過ごしてしまった。
二人っきで電車に乗るのは初めてで、緊張する。


「阿部くん、あそこ、あいてるよ。」
「あぁ…お前座っとけ。疲れてんだろ?」

阿部くんの気遣いをうれしいと感じる反面、その言葉を残念に感じた。
せっかくなら、隣に座っていてほしかった。


席は2つぶんあいている。


そんな俺の不満に気づいたのか、苦笑いしながら阿部くんが隣に座ってくれた。
途端に気分が明るくなる俺。現金な奴だ。



乗車駅を出て20分。だんだん人が多くなってくる。
帰宅ラッシュとかぶったのか、スーツを着て吊革につかまる人が増えてきた。


下車駅まであと3つ。
試合の反省をしていたら、あっという間に過ぎてしまった。
せっかくの時間が、勿体無かったなっと思っていたら、親子連れが乗車してきた。
まだ小学校に上がる前であろう女の子が、必死に母親の足につかまる。

人の多い車内、ガタンと揺れるたびに人の波が押し寄せてくる。
このままでは危ないっと思った俺は、阿部くんの事など忘れて、立ち上がっていた。


「どう、ぞ…座って、くだ、さい。」
俺の言葉に一瞬驚いた母親だが、すぐに笑顔になり、ありがとうっと言ってくれた。
「さっ、ここにいい子に座って。それで、お兄ちゃんにおありがとって言いなさい。」
「…おにいちゃん、ありがと」
ちょこんと座った、可愛らしい女の子が、俺に向かって恥ずかしがりながらお礼を言ってくれた。
その言葉が嬉しくて、悦に浸っていると、突然凄い力で右腕を引っ張られた。


「おい三橋!お前なに勝手に立ってんだよ!」
「あ、あ、あ、阿部くん、ごめ…でも、このまま、じゃ、危なかった、から。」
怖い顔で睨みつけてくる阿部くんに、ここが公共の場であることも忘れて、涙を浮かべてしまった。
「おっ、おいこんな所で泣くなよ。別にお前が悪いことしたって怒ってんじゃねぇんだから。」
「え?どゆ、こと?」
「お前がしたことは良いことだって言ってんの。けど、こんな人の多いところで立ってたら、どっかぶつかって、肩痛めるかもしれねぇだろ?お前は投手なんだから、少しは自分の体の心配をしろ。俺ばっかり心配してて、馬鹿みてぇじゃねぇか。」
「ご、ごめ…。」
「だから謝るなって。ほら、座れ。俺が立っとくから。
次、今みたいなことがあったら、まず俺に言えよ!わかったな!」
「はっは、い!」

俺の返事に、フッと笑うと、阿部くんは席を譲ってくれた。
阿部くんが、俺のことを考えてくれていた。っと思うと顔がニヤけてしまう。



席に座ると、隣の女の子が、俺と阿部くんの顔を見てにっこりと笑った。
「おにいちゃんは、あのおにいちゃんのたいせつな人なのね。」
「どう、して?」
俺が問いかけてみると、小さい両手を口に当てて、さらにフフっと笑う。
「だってね、ようちえんの先生が、たいせつな人だからしんぱいになるのよ。って言ってたの。」
女の子の言葉に、顔が赤くなるのを感じた。




大切な人。





その言葉が妙にくすぐったかった。
俺が照れて下を向いていると、阿部くんがスッと腰をかがめて、俺と女の子にしか聞こえないような小さい声で囁いた。




「そうだよ。こいつは、お兄ちゃんの大切な人だよ。」



突然の言葉に驚いて顔をあげると、顔を赤くした阿部くんと目が合った。



するとそれと同時に、車内に、到着を知らせるアナウンスが流れた。
その駅名が下車駅だったので、あわてて荷物を持って立ち上がる。
女の子に別れを告げて、電車を降りた。




ここが降りる駅でよかった。こんな赤い顔で、阿部くんと向き合っていたら、周りから変な奴と思われただろう。

阿部くんも同じ気持ちだったようで、安堵のため息をついていた。





なんとなく改札を出たくなくて、ホームのベンチに座り込む。


暫くの沈黙の後、勇気を振り絞って、俺から話かけてみた。
「阿部くん、さっきの、ほん、と?」
俺の問いかけに、元に戻っていた顔を、再び赤くする阿部くん。
俺までつられて赤くなってしまう。

「ほんとだよ。いっつも言ってんじゃん。好きだって。」
「うん。でも。大切って言われたの、はじめ、て。」

ふひっと、いつものように笑うと、阿部くんが手を握ってくれた。



「お前は俺のエースで、一番大切な人だよ。」



なんだか、誓いの言葉みたいで、ドキっとする。


「俺、も。阿部くんが一番、大切な、人、だよ。」




誰もいないのを良いことに

俺達はキスをした。




甘くて、幸せな、キス。



大切な君と……




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