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過去拍手
暁闇番外B



***


 ――海が、見える。

 どこの海かは分からないけれど、人のいない真冬の海。波打ち際を歩いているのは、幼い頃の自分と彼だ。

『なんか…… 想像の海と違う! 』
『どんなのを想像してたんだ? 』
『もっと青くて、足がざらざらしなくて、入ってもぐるぐるしないと思ってた』

 本やテレビに出てくる海はそうだったのだと訴えると、困ったように微笑んだ彼が頭を軽く撫でてくる。

『きっと、世界にはそんな海もあるから、いつか一緒に行こうな』
『うん、絶対だよ! 男と男の約束だからな! 』
 そう言いながら指切りを強請ると、『ああ、約束な』と、応えながらも少し寂しそうな顔をした。

 ――なんで、今頃、こんな…… 。

 何年も胸の奥へと仕舞い込み、忘れようとしていた記憶が、色鮮やかに蘇り、瑛士はそれを振り払おうと頭を激しく左右に振る。

 だって、あのころの自分はどこにもいない。

 馬鹿みたいに約束を信じ、待っていた頃の幼い自分はこの世界のどこにもいない。

 ――そう、あのころの俺は…… もう死んだ。


「…… 」

 そこで唐突に夢から覚めた。
 意識を落とす前の出来事と、夢の中身が交錯して、一瞬頭が混乱するが、すぐに冷静さを取り戻す。瞼を薄く開いていくと、辺りは暗闇に包まれていて、自分を被う上質な布に、ここがベッドの上であると瑛士は瞬時に理解した。

 とりあえず、夜目が効くようになるまでは、大人しくしていた方が利口だと考える。

 そう判断を下した瑛士が、息を潜めて辺りの様子を伺っていると、ドアが開く音が聞こえて光の筋が部屋へと差し込む。視線だけをそちらに向ければ逆光で顔は見えないけれど、それが見知った男であるということだけはすぐに分かった。

「起きたようだな」

 カチリと音が聞こえた刹那、薄い明かりが室内を照らし、瑛士は慌てて瞼を閉じる。意識を取り戻したことを、今更隠せる相手では無いが、不用意に近付いてくれれば噛みつくくらいは出来るだろうと考えてのことだった。

「無駄だ。お前は何もできやしない」

 するとまるで、瑛士の思考を読んだかのような声が上から降ってくる。

常に先手を取られて悔しい思いと、やり返したい一心で…… すぐ近くまで来ている相手に殴りかかろうと起き上がるけれど、首と腕とを後ろに引かれ、再びベッドに倒れ込むだけの結果となった。

「…… っ、くぅっ」
「だから言ったろう」

 ため息混じりの声が聞こえるが、何が起こったか理解できない。無遠慮に髪へと触れてくる手を振り払おうとするけれど、それも途中で何かに遮られ空しくシーツの上へと落ちた。

「てめ…… なにした」
「目を開ければ分かる。それとも、見るのが怖いのか? 」
「怖いわけ無いだろ! 」 

 挑発的な言葉にカッとなり、瑛士が瞳を見開くと、見知った男の端正な顔が、口元だけに笑みをたたえ、こちらを真っ直ぐ見下ろしている。それだけで、鼓動が勝手に速くなるのが自分自身にも分かったが、それには気づかぬふりをして、瑛士はゆっくり視線を周りへ動かした。

「何の…… つもりだ」

 すぐに状況は理解したが、問わずにはいられない。
 両手には、それぞれ枷がついていて、そこから伸びた鎖はベッドの左右の下へと消えていた。それから、見ることは出来ないけれど、もう一本の鎖の存在で首輪も付けられていると分かる。更に、脚を動かしてみようとしたら、カシャリと金属音がした。

 総合して考えると、一糸纏わぬ姿のまま、ベッドの上へと大の字に磔けられてしまっている。

「お前の身柄は、俺の預かりになった」
「それは、どういう意味だ。組は? 佐伯は…… 」
「答える義務はない」
「アンタ、やっぱり猫被ってたんだ」

 意識を失う前とはまるで別人のような話し方だが、こちらのほうがしっくりくると思った瑛士は口端を上げた。

「で、縛り付けてどうすんの? 俺がアキにしたみたいに、アンタが俺を犯すの? だったら…… 本気で抵抗するけど」 

 彼が警護をしていた相手へと危害を加えたのだから、捕まったあげく無罪放免なんてことは、あり得ないのは分かっている。自分がした事を思えば、こうなることも予測の範疇に入っていたが、だからといって『はいそうですか』と言いなりになれる気性ではない。

「白鳥君の件については、お前の上である佐伯が全て責任を取った」
「だったら…… 」
「だが、お前はあれだけの事をした挙句、まだ白鳥君に危害を加えようとしていた。牙ぐらい折らせてもらわないと、危なくて外には出せない。そうは思わないか? 」

 そう尋ねた男は瑛士の胸へと指を這わせ、酷薄な笑みを浮かべながら、「鍛えてあるな」と呟いた。
 自分よりも体格の良いこの男に言われると、嫌味にしか聞こえないから瑛士は鋭く男を睨む。

「誘ってるのか? 」
「死ね」
「語彙が乏しいな。昔の方がかわいげがあった」

 肌をなぞる指は止まらない。
 それを言うならアンタだって昔の方が優しかったと喉元まで言葉が出たが、すんでのところでそれを飲み込み、瑛士は掌を握りしめた。




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