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暁闇番外A



 ***


 深夜零時を回っても尚、都会の夜は眠らない。
 けれど、路地を一つ入っただけで、喧騒は細く届くけれども辺りは闇に包まれて…… 機会をうかがう為に紛れる場所としては、最適であるはずだった。

 数日間マークし続けた甲斐があり、ようやく一人になった標的を視界へと入れ、瑛士は口角を僅かにあげてゆっくり舌なめずりをする。少し先には外灯の少ない路地があり、前々からそこで行動を起こす計画をたてていた。

平穏な暮らしに戻れた≠ネどと考えているであろう標的が、恐怖に顔を歪める姿を想像するだけで、自然と気分は高揚する。
 だが、そんな瑛士の表情は、次の瞬間に一変した。

「お疲れさまです。今日もいると思っていました」

 背後から…… 突然響いた低音と、同時に首へと回された腕に、相手の方が上手だったと認めざるを得なくなる。 

「…… 主を囮にしたって訳か。酷い使用人だな」

 平静を装いながらも、内心はかなり動揺していた。なにせ、それなりの修羅場を潜り抜けてきた自分でさえ、男の気配を全く感じることができなかったのだ。

「彼が一人になる機会を狙っているのは、分かってましたから。貴方も、罠があるリスクを承知で、毎日尾けていたんでしょう? 」

 囁くように紡がれる言葉は、感情がまるでこもっておらず、それが余計に底の知れない恐怖にも似た感情を生む。
 だが、この状況をひっくり返す手段が無い訳ではないから、瑛士は口角をゆっくり引き上げ、左腕を僅かに動かす。

 ――甘いな。

 背後は取られてしまっているが、腕は自由に動かせた。今はこちらが不利に見えるが、先日自分が彼に負わせた左腕の傷が既に癒えているわけもないから、先手は取られてしまったけれど、最終的にはこちらが有利だ。

 男が仲間を配備している可能性も無くはないが、彼の性格から、その確率はかなり低いと言えるだろう。

「呑気なもんだな。自分が守られてんのも知らねぇで」

 路地の向こう、自分と男との攻防も知らず一人で歩く、凡庸を絵に描いたような青年を瞳に映し、どうしようもない苛立ちを覚え瑛士は奥歯を噛みしめた。
 ジャケットの内ポケットへと忍ばせてある銃を使えば、何もせずただ守られるだけの、価値もない青年を葬り去ることが出来るが、それだけでは飽き足らない。

「滅茶苦茶にしてやりてぇ」
「残念ながらそれは無理です。私がさせません」

 冷静な返事と共に、堅く鋭利な質感を持つ何かが腰へと突きつけられた。

「刺せるのか? 」
「大人しく従えば危害は加えません。ただ、貴方が胸にしまった銃を使おうとするなら、刺すでしょうね」
「そうか、ならしょうがない」

 淡々と紡がれる言葉に瑛士の苛立ちは更に募るが、殊更普通に振る舞うことで、冷静さを取り戻そうとする。従うと見せかけておけば、必ず隙が生まれるはずだ。

「俺の負けだ。どうにでもしろ」

 そう告げたのは、もちろん本心などではなく、彼の油断を生む為だったはずなのに…… 刹那首へと掛かった腕がギリギリとそこを締め付けはじめ、予想外の彼の行動に方針転換を余儀なくされる。

「てめぇっ、なにす…… 」

「甘いな。貴方は興味に負けて、唯一の勝機を逃した。私と話なんかしてないで、すぐに逃げるか銃を抜くべきだった。私が怪我をしていることは、貴方の満身に繋がりはしても、有利になる理由にはならない」
「なに言ってんだ。俺は、お前になんか…… 興味ない」

 振り払おうとするよりも早く、シャツの裾をたくしあげられ、腰の辺りにチクリと何かが刺さったような感覚がした。

「そうですか、残念です。ですがどのみち逃がすつもりはありません」

 少しも残念そうに聞こえない声が鼓膜を揺らすけれど、体から急に力が抜けて言葉を返すことも出来ない。

「…… ちくしょう、ゆるさな…… 」
「大丈夫、ただの麻酔薬だから」

 膝から崩れた体を支え、そう告げてくる低音は…… 先ほどまでとは違う響きを帯びていたが、そこに気づくことは出来ないまま瑛士の意識は遠のいていく。

「…… 瑛士」

 完全に途切れる寸前、自分の名前を呼ぶ彼の声が聞こえたような気がしたが…… 朦朧とした意識の中、それが夢か現なのかは判断がつかなかった。


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