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三周年記念
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『小林、頼みがあります』


普通に育った人間なら、おかしな所は何もないその一言が……彼にとって大きな変化を示す何かだと感じたから、その時これから起こる全てを黙って見守る覚悟を決めた。


この仕事を最後にしようと心に決めて引き受けてから、五年の月日が経って初めて、主となる少年の……人間らしい感情が垣間見えたから。



醒夏



“出過ぎず、しかし主の利益を第一に考えよ”


とは、長く続けた執事の仕事で、常に自分に言い聞かせて来た矜持であり信念だ。


拾ってくれた先代を慕い、寡黙で従順である事が何より大切と思っていたが、そうもいかない出来事が起こり、結果人として正しいと思う方の道を選び取った。


それが今の主、阿由葉聖一と、使用人である小林修次を結び付ける契機となり、その関係は十年以上が経った今も続いている。





「そう、今月一杯で契約を切られるんだ」


「はい。長い間、お世話になりました」


深々と頭を下げ、小林は目前の主に短く感謝の意を述べる。


執務用の椅子へと座り、机上の書類から視線を上げた眉目秀麗な青年は、幼い頃から仕え続けてかれこれ十五年の間、成長を見守ってきた、まだ若いが主と呼ぶのにふさわしい人物だ。


「その後のことは決まってるの?」


「いえ、特には……ただ、私ももう世間で言う定年の年齢ですので、少しのんびりすればいいと正義様はおっしゃっていました」


正義は主である聖一の異母兄だが、年齢的には二十才以上聖一よりも年上だ。
現在は、阿由葉家の持つグループ企業の全てを統べる総帥の地位にある。


小林自身の雇用形態は正社員の扱いで、総帥である正義付という契約になっているから、彼に退職を言い渡されれば断る権利も理由も無かった。


「そう……分かった」


いつも通り表情の見えない整い過ぎたその顔が、少し寂しげに歪んだように見えたのは……ただの勘違いだろうか?


―――私も、年を取ったな。


ここで感傷に浸るようでは側近として失格だ……と思いながらも、こうなってみると最後の主は思い入れがかなり深い。


出会った頃は子供だったが、人形のように整った顔はまるで固まってしまったように、表情が出なくなっていた。


―――でも……そうなるのも、仕方が無かった。


生まれた時、殆ど同時に母を亡くしてしまった彼は、幼い頃から父親による性的虐待を受けていて……間違いなく、それが原因の一つだと言えるだろう。


当時小林は四十代で、恩義のある前総帥の息子が犯した過ちを……告発する勇気を持つのに随分時間が掛かってしまった。


―――もっと早く、助けて差し上げられたのに……。


今も時折後悔の念に苛まれる。


証拠を録り、彼の兄達の元へと持参した事は、使用人という立場からは出過ぎていたかもしれないが……間違えてはいなかったと自信を持って今なら言える。


「今日はこれから会食ですが、予定に変更はございませんか?」


「ああ、行くよ。貴司も残業って言ってたし、今日のはそこそこ大事だからね」


「貴司様に……いえ、何でもありません」


「いいよ言って。小林も最近随分と人間らしくなったよね」


クスリと口を綻ばせる聖一の姿を見ながら、その言葉をそのまま返してしまいたいと思ったが、そこは言葉をきちんと飲み込みまた深々と頭を下げた。


「では、言わせて頂きますが、貴司様には何もお話にならないのでしょうか?」


「ああ……どうだろう。そのうち……ね。小林は面白いな。俺と貴司の心配までしてくれるなんて……」


続く言葉は鳴り響いた電話によってかき消される。
聖一個人の携帯だから、自分が取り次ぐ物ではないと判断し、小林は一礼してから彼の個室を後にした。



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