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皇子のΩ(サンプル)



この世に生を受けた瞬間、Ωは等しく星を握りしめている。
〜ナムール叙事詩 Ωの章より抜粋〜



プロローグ

覚醒の時がすぐ近くまで迫っているのは分かっていたが、もう少しだけ眠っていたいとナギはぼんやりと考えた。

――あとすこしだけ。

人一倍自律性に長け、惰眠を貪るようなことは決していないナギにとって、こんな状況は初めてだけれど、そんなことなどどうでもいいと思えるほどに、体中が怠かった。

なにか、長い夢を見ていた気がする。

起きてしまうのが勿体ないと思えるほどの充足感と、甘美な余韻にナギの体は徐々にピリピリと熱を帯びるが、それが淫夢の類かと問われれば、そうではないような気もした。

――どんな……夢だった?

少しクリアになった脳裏へとフラッシュバックのように現れた白い肌、絹糸のような艶を纏った黒い髪、そして、黒曜石のように美しい闇色をした大きな瞳―。

――そうだ、俺は……。

ハッと意識が覚めたと同時に、腕の中で小さく身じろぐ存在が、自分の記憶が夢などではなかったという現実を、否応なしに突きつけてくる。

重い瞼をなんとか開き、視線だけを動かす形で室内をざっと見回せば、そこにあるのは見慣れた部屋。

けれど、その惨状はありえないくらい酷くボロボロなものだった。

「イオ」

腕の中でぐったりしている小柄な青年へ声を掛けるが、揺さぶってみてもその瞼が開く様子はまるでない。

細い手首へと指を当て、正常に脈を打っていることを確認してから、ナギは彼を起こさないようにゆっくりと体を起こし、家具のほとんどが壊されている簡素な部屋を見渡した。



――生きてる?

イオが彼を見つけたのは、魚を釣ろうと河原へ出かけた時だった。
浅瀬に倒れるその人物へと駆け寄り頬に触れてみれば、眉根を僅かに寄せて見せたから、イオは胸をなでおろす。

――よかった。

下半身が水へと浸かった男の体をどうにか岸へと引きずりあげ、自分の小屋まで運べるかどうか考えてはみたものの、大きな体をしている男を、小柄な自分が担ぎあげるのはどう考えても無理だと諦め、どうしようかと途方に暮れた。

とりあえず、男の体をガッシリと包む重たそうな鉄製の装具を外したほうがいいと考え、金具へと指を伸ばしてみるが、どういう作りになっているのか? 外し方が分からない。

それでも必死に胸の辺りの留め具を掴んで動かしていると、突然男の腕が動いてイオの体が宙へと浮いた。

「っ!」
「……お前、何をしてる」

強い光を放つ瞳から、視線を逸らすことができない。

あっというまに上半身を起こした男が、イオの体を抱き上げたのだという状況は理解したが、こんな経験は初めてだから、どうすればいいか分からなかった。

「ここはどこだ?」

精悍な見た目に違わず威厳を纏った低い声音が、静かな空気を震わせる。

イオはといえば、初めて出会った両親以外の人間から、鋭い視線を向けられたことに動揺し、言語は理解出来るはずなのに、意味が全く分からなくなった。

「声が出ないのか?」

だから、必死に口を開閉させ、『ごめんなさい』を繰り返していると、首を傾げた男はようやくほんの少しだけ警戒を解く。

それに何度も頷うなずき返せば「そうか」と短く答えた男は、持ち上げていたイオの体をそっと傍らへ下ろしてくれた。

「小さいな。子供か?」

問われてイオは首を振る。十六歳は迎えているから、もう子供では無いはずだ。

「そうか。ところで、ここはどこだ? って聞いても、話せないなら無駄か。ここまで流されてきた私を、お前が見つけて助けてくれた……と考えればいいのか?」

助けたとまではいかないが、見つけたのは事実だから、曖昧に頷き返せば、「礼を言う」と答えた男は立ち上がっては見せたものの、どうやら左の足首辺りを負傷しているようだった。

慌ててイオも立ち上がり、肩を貸そうとしてみるけれど、身長と体格とに大きな違いがあるために、彼の支えにはまるでならない。

「大丈夫だ。歩けるから問題ない」

そう告げてくる男の纏った装具や服から滴る雫に、このままでは風邪をひく……と思ったイオは、彼の数歩前へと進み、振り返ってから手招きをした。

ここからイオの暮らす小屋まではそう遠くない距離だから、彼が片足を引きずるように歩いたとしても、日の入りまでには辿りつくだろう。

「ついて行けばいいのか?」

見上げるほどに大きな男からそう問われ、イオは何度も頷き返す。念のため、ランタンは持ってきているが、日の入りまでに帰らなければ辺りは急激に冷え込むし、夜行性の狼などに遭遇しやすくなってしまう。

「わかった」

イオの心を悟ったのか? 素直についてくる彼の姿に、安堵の息を吐き出したイオは、歩きやすいようになるべく平らな道を選び、男を自身の小屋へ導いた。





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