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鳳は携帯電話を上着の胸ポケットから取り出し、どこかへ電話をかけだした。

場所は"宍戸園"の門の前。
後ろからは園庭で遊ぶ、無邪気な子供の声が聞こえる。子供達の年齢は様々だ。新聞によると下は一歳から上は18歳まで。18歳になり高校を卒業すると、独り立ちするのが決まりだという。それがこの孤児園の決まり。


「鳳さん?」

声をかけられ振り返ると、そこには『えんちょうせんせい』と書かれた名札を着ける初老の男性がいた。

「あぁ、失礼。電話中でしたか」

耳に当てられている携帯電話に気付き、小声で謝る。鳳は直ぐに電話を切り、小さく頭を下げた。

「いえ、もう用件は終わっていましたので」

用済みのそれを胸ポケットに戻し、しっかりと向き合った。

「もっと騒がしいと思っていました。色々と」

門の前に立つ自分から見える範囲でも、世間でマスコミと言われる人間達は数えられる程度しかいない。

「一昨日がピークでしたね。彼が検査からこちらに移動した日なので。今は門も閉鎖していますし、関係者以外は立入禁止にしているので、随分と減りました」
「一昨日ですか…」

ということは、一昨日には既にニュースになっていた事になる。自分の新聞嫌いを少しだけ恨んだ。

「子供達も驚いてしまってしばらく外で遊ばなかったんですよ」

園庭で遊ぶ子供達を眩しそうに見つめる。それからこちらに向き直ると、真剣な面持ちで口を開いた。

「では、鳳さん、用件をお伺いしましょうか」

それでもおっとりと話すその口調は変わらない。

「……その渦中の彼と会わせて頂けませんか?」
「やはり。会ってどうなさるおつもりですか?」
「分かりません…。ただ、会わなければと…」
「本能が?演奏家の方らしいですね」

その言葉に鳳の目が開かれる。

「ピアニストの鳳長太郎さんですよね?妻があなたの作られた曲が好きで、よく聞かされるんです。園のお昼寝の時間にも流させて貰っています」

ニコリと浮かべられた笑みは、人好きが見せるようなそれで、自分自身がホッと安堵するのが分かった。

「こんなに若い方だとは…お会いしたと知ったら妻が羨ましがるでしょうね」

言いながら、園長は門の鍵を外した。それから片側だけを開けると、中に入るように促す。

「え…?」
「お会いしたいのでしょう?」
「は、はい!」

鳳は一礼して、門をくぐった。


「妻から聞きました。もう一年近く曲をお作りになっていないと」

園庭の騒がしさを抜け、建物の中に入ると、園長はそう切り出した。声が、静かな建物の中の空気を揺らす。

「…はい。どうしてもラストが出来上がらないんです。無理に作るとどうしても幼稚になってしまって」
「幼稚?」

二人の足音が響く。階段を上り、角を曲がると、そこからは園庭が見えた。静かだった空間を子供達の声が彩る。

「えぇ。私が作る曲は全て幼稚なんです」
「ほぅ…私はそうは思いませんよ。とても穏やかで、温かくて、色んな温かい事を想像できる」
「…ありがとうございます」

園庭に目を向けていながらも、その視線は特に何も捕らえて居ないように見えた。

「作っている本人にしか分からない悩みなのかも知れませんね」

前を歩く園長の顔が窓ガラスに映って見える。その表情は、何て表せせばいいのか分からないが、少なくとも鳳には少しだけ哀しそうに見えた。

「そろそろ、聞こえ始める頃だと思います」

二回目の階段で園長は静かに言った。その言葉に、鳳は階段を上る音を小さくしようと努める。

それと同時に聞こえ始める物音。何かが壁を打ったり、何かが床に落ちたり、そんな音が絶えず聞こえてくる。
階段を上りきり、また角を曲がると、そこは二階と同じ様な通路。窓の向こうにはやっぱり園庭があって、そこで子供達が遊んでいて。
ただ一つ違うのは聞こえてくるのが子供達の笑い声に混ざった低い唸り声。それとさっきから聞こえている激しい物音。

「正直、どうすればいいのか我々も分からないのです」

園長はそういいながらも、その声がする部屋に近付く歩みを止めようとはしない。

「彼は、約9年間も狼に育てられていたんです。当然私達の言葉は分からないし、私達も彼の言葉が分からない」

部屋が近付くに連れてはっきりと聞こえ始めた唸り声。それは人間が出しているとはとても思えない。

「凄く悲しそうな声ですね」

長太郎はついに目の前に来たそのドアに触れた。

「…悲しそう?」
「はい。悲しくて寂しくて、だけどそれらを私達には知られたくなくて、強がってる声です」

園長は目を閉じて、その声に耳をすませた。

「私には難しいお話です」
「いえ、本当の所なんて彼にしか分かりませんから…。あの…中に入ってもいいですか?」
「えぇ、口には拘束具を付けているので安全かとは思いますが、一応気をつけて下さい」
「…はい」


鼓動が早くなる。
目を閉じて一度大きく息を吸えば、子供達の笑い声が消え、耳に届くのは彼の唸り声だけになった。

鼓動が、鼓動が、鼓動が。




吸い込んだ息をゆっくりと吐き出して、鳳はそのドアを開けた。


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