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そして最後の冬がやってきた。

あの秋の日から長太郎はずっと傍に居てくれた。ずっとだ。病気の進行が思ったより早く、学校を辞めることになった俺の傍に。


「宍戸さん、こっちですよ」

分かれ道で立ち止まる俺の手を、それが当たり前のように引いてくれる。

「わりぃ」
「なに謝ってるんですか。前と何も変わりませんよ?」
「そっか…ありがとうな」

秋から冬にかけて世界は大きく変わった。コートを囲む桜の木は葉を全て落とし、それと同じ様に俺の記憶も枯れては落ちた。

「そういえば跡部部長達、今日が合格発表ですね」

推薦と特待は普通より早いのだと、長太郎は説明してくれた。

「あと…べ…」
「はい、宍戸さんのお友達です。多分、一番信頼してたんじゃないかな」

一番信頼してた奴を俺は忘れたのか。
何だろうな、この感じ。言葉にできねぇな。

「宍戸さん、つきましたよ」

手が優しく解かれる。温もりが風にさらわれていく気がして手をぐっと握り締めた。

「ここだけは忘れたくねぇな」

目の前に現れたコートを見て、自然とこぼれ落ちた言葉に胸が締め付けられる。

「きっと忘れませんよ。だって宍戸さん、テニス大好きじゃないですか」



誰もいないはずのコートに浮かび上がる自分の姿。無邪気にボールを追い掛けて、それが楽しくて仕方ないって、そんな表情をしている。そしてその後ろにはそんな俺を優しく見つめる長太郎。



「そうだな。忘れるわけねぇよな」

記憶は消えていく。だけど心は消えない。

「忘れてもここに来れば思い出せる気がする」

ボールの跳ねる音。笑い声。俺を呼ぶ皆の声。
聞こえるはずのない音が確かに俺の耳に届いて聞こえる。

「宍戸さん、泣いてるんですか?」
「ばーか、俺が泣いたことあるか?」

頬を伝う滴をそのままに思い切り笑ってやった。

「いいえ。宍戸さんが泣いてるとこなんて見たことないです」
「だろ?男は人前じゃ泣かねぇんだよ。まぁ俺は」
「一人でも泣かないんですよね?」

そう言って長太郎は俺の頬を撫でる。
それから俺みたいに思いっ切り笑った。

「そうだ、宍戸さん!久し振りにテニスしましょうよ!」

ラケットを振るフリなんかして、ね?と半ばお願いのように聞いてくる。それに頷くと、ラケットを取って来ると走って行った。


長太郎の足音が遠ざかっていく。どんどん聞こえなくなっていく。どうしてかそれに不安を覚えて、胸の辺りを掴んでみてもそれは治まらなくて。

コートを見れば、いつの二人だろう。
俺と長太郎がいつになく真剣な顔をしていて、向かいには…向かいには…そう、岳人と忍足だ。俺と長太郎はポイントが決まる度にハイタッチして岳人と忍足を挑発してる。その周りには跡部と樺地、それから日吉と慈郎。

そうか、これは去年の冬だ。
遊びだったのがいつの間にか本気になって…

楽しくて、楽しくて、こいつらとテニスをしている時間が何よりも楽しかった。ここが俺の場所だったんだ。ここが俺が1番好きな場所だった。

色んな思い出が走馬灯のように駆け巡る。

だからどうか、消えないでくれ。
俺をこの世界に一人にしないでくれ。




遠くから足音が近付いて来る。ざっざと地面を蹴って、リズムよく繰り返される足音。

「宍戸さん!取ってきました!」

振り向くとそこには長身の男。真冬なのに額にうっすらと汗を浮かべて、変な棒みたいなのを二つ持って笑顔で立っている。






「お前…誰?」

ひどく掠れた声だと思った。
言いながら胸が痛いのも分かった。
きっとこれは俺が1番言いたくない言葉だったんだ。

その男は一瞬固まったが、すぐに笑顔を浮かべ、俺の手を取った。それからすっかり冷えた俺の手を温めるように、そっと包み込む。


「宍戸さん、はじめまして。鳳長太郎っていいます」
「長太郎…?」
「はい、長太郎です」

その笑顔を見ると、心が落ち着いていくのが分かった。
なぜか安心した。安心できた。

「そっか、よろしくな、長太郎!」


記憶は失われていくだけ。
決して積み重なってはくれない。
それは分かってる。いつかはその事さえも忘れてしまうのだろう。


だけどきっとこいつは、長太郎は毎日『はじめまして』を言ってくれる、そんな気がする。
忘れても忘れても何度でも出会ってくれる気がする。

だからさ、

「長太郎、明日はきっと二度目ましてだな!」

こんな冗談も言えるんだ。

「ふふ、そうですね」

その冗談に、長太郎はなぜか嬉しそうに笑って、コートに目を向けた。

「この桜の木が満開になる頃、もう一度二人でここに来ませんか?」

俺もコートを見て、一度だけ頷いた。

「きっと素敵なはじめましてが一杯です」

勿体振るように言って、長太郎は俺の手を少しだけ強く握り直した。





俺達は何度の『はじめまして』を繰り返して春を迎えるのだろうか。

だけどそれを数えるのもちょっと楽しいかも、何て思った俺は楽天的なのかもな。


そう思わせてくれる長太郎に、『はじめまして』と同じ数の『ありがとう』を。

そして春に出会える奴らに笑顔の『はじめまして』を。









ー春夏秋冬ー


あきゅろす。
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