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校門を抜け、足が向かうのは、あの鮮やかなオレンジに囲まれたテニスコート。オレンジと赤と茶色のグラデーションがかった木々は、時折風に吹かれカサカサと音を立てる。

手元の紙を見て、コートの手前を右に曲がる。それから正方形の建物の前で扉に書かれている文字を確認する。


『レギュラー専用』


ホッと胸を撫で下ろすのと同時に、少し離れた所から声がした。

「なんや、今日はえらい遅いなぁ」

独特の低音ボイス。耳元で囁かれたら思わず鳥肌が立ってしまうくらい妙に色気のある声。これが女だったら腰が砕けるとか言うんだろうけど。

「おぅ、ちょっと用事があってな」
「珍しい。もう皆着替えてんで」

スッと長い手が伸び、扉を開ける。忍足に続いて中に入るとすぐに長太郎が駆け寄って来た。

「宍戸さん!遅いから心配しましたよ!メール送ったの見てくれました!?」

こいつのお尻にブンブンと揺れる尻尾が見える。

「わりぃ、ちょっと用事があって」

病院に居たから携帯切ってたなんて長太郎に言えるはずも無く、適当にごまかす。肩に掛けていたテニスバッグを降ろし、そのポケットからこっそり紙切れを出した。

「もぉ!遅れるなら遅れるってメール下さい!」

そんな隣で文句を言ってくる長太郎に見られないように、紙切れに書いてある絵で、自分のロッカーの位置を確認する。

「わりぃわりぃ。ちょっと着替えるから待ってろ」

ロッカーのドアを開けると、フワリと薔薇の香がした。それから中に掛かっているジャージを取り出す。それと妙にフワフワと柔らかく手触りのいいタオル。

「宍戸」

後ろからの声に振り向くと、跡部がこちらに手を差し出している。

「悪いな。ありがとう」

そう言って俺がたった今手にしたものを掴んだ。そこで俺はハッと辺りを見回す。

ロッカーを間違えたのか?

「宍戸、取ってくれと頼んでおいてなんだが、お前も早く着替えろよ?」

跡部が隣のロッカーをコンコンと叩いた。
俺はロッカーを間違えたんだ。それを跡部がフォローしてくれた。

「お、おぅ。わりぃ」

手に握られた紙をグシャリと握る。こんなのを作る自分が嫌だ。いつか忘れると思って、本当はもう忘れているかもって。事実、学校までの道のり、校舎や教室の位置はもうほとんど覚えていない。何度も何度も通って何度も何度も歩いた道なはずなのに、全部、初めての道なんだ。俺の記憶のどこにもないんだ。今までの俺の日常がどんどん記憶から消えていくんだ。

だけど、テニスに関係することは全く忘れない。こいつらのことも、ラケットの振り方も、ルールも。だから安心してた。大丈夫だって。


「長太郎」

ジャージの袖に手を通し、上からポスッとかぶる。

「わりぃ、待たせたな」
「いえ…」

少し濁した返事が帰ってくる。
平然を装って部室を出る俺の背中に感じる視線は一つや二つじゃない。皆が俺を見てる。

もう、ごまかせないのかもしれない。

部室を出ると、凩が俺達の間を走り抜けた。色んなものを奪い去るように。

「宍戸さん、覚えてますか?二年前の秋の事」
「二年前の秋?」

無意識に進む足。記憶とは違う何かが俺をそこに連れていこうとする。

「はい、俺達が付き合いだした秋です」

林立する桜の木が凩に吹かれ、その葉を落として行く。地面がオレンジ色に染まり、その上を歩く足音が何とも言えない音を奏でた。

「部活が終わった後だったな」

その音が記憶を蘇らせる。
今日と同じ足音を鳴らしながら、お前は俺の後を着いて来てたんだ。

「はい。宍戸さんが引退する最後の日でした」
「お前からだったよな、お前が先に一歩を踏み出してくれたんだ」
「だって引退しても一緒に居たかったんです」

俺だって同じ気持ちだった。だからお前が伝えてくれた時は嬉しくて、だけど素直になれなくて随分と高飛車な返事をした気がする。

「宍戸さんはあの頃から何も変わってません。素直になれないとこも、だけどそこがかわいいとこも」

コートを前にして長太郎の足音が止まった。ずっと後ろを着いてきてくれた足音が。何とも言えない不安に襲われて後ろを向くと、そこには泣きそうな長太郎がいた。

「本当は宍戸さんが泣き虫だって事も、でも人前では絶対に泣かないって事も、なんでも一人で抱え込むって事も」
「長太郎?お前何言って…」
「それから……それから、俺に辛い思いさせないように勝手に一人になる覚悟をする事も」

子供みたいに腕で溢れる涙を拭いながら、長太郎は続ける。

「宍戸さんは強いです。だけど弱いです。一人で抱え込むのは強い人がすることじゃない…誰かを傷付けるのが怖くて、それから逃げようとする人がすることです。そんな宍戸さん、激ダサです!」
「長太郎、お前…」

知ってんのか?そう問い掛けようと口を開きかけた時、少し離れた所から幾つかの足音が近づいてきた。

「やっぱりな」

軽く息を切らしながら跡部が姿を見せた。それから樺地、岳人、忍足、日吉、そして慈郎の順に続く。

「悪い、宍戸。もう皆には言ってある」
「まぁ聞いたのは夏過ぎてからやけどな」
「さっき部室で鳳が思い詰めた顔してたからさぁ、侑士が追い掛けた方がいいんやないかぁ〜?って」

岳人の似てない物真似に、忍足がコツンと頭を突いた。

「なんで…俺言うなって…」
「あぁ、言ったな。だから鳳には言ってない。俺からはな」

約束は『鳳には言わないでくれ』。そうだったな?と跡部は言った。『他の奴には言わないつもり』言わないでくれとは言われなかった。

「なに屁理屈言ってんだよ」
「仮にお前が言うなと言っても俺様は言ってただろうな。ここにいる奴らはお前が死んだって嘘ついて、そうですかで終わる連中じゃねぇ」

そう言う跡部の声はどこか諭すようで。

「鳳には俺が言ったんや」

堪忍な、と忍足が悪びれた様子もなく言った。

「え?俺も言ったぜ!?」

その後に続く岳人。それから日吉に慈郎に樺地まで。つまり全員。

「おまえら…」
「宍戸さん、俺達の事忘れないで何て言いません。忘れてもいいです。俺達がちゃんと覚えてますから。だから、死んだ何て嘘ついてまで、俺達から離れようとしないで下さい」

なんだこれ。なんなんだよ。なんでこんな…

「宍戸。俺達、仲間だろう?」

跡部、何言ってんだよ。俺さぁ、全部忘れんだよ。お前達とテニスしたことも、お前らの事も。そんなの辛いんだよ。おまえらに『誰?』なんて言いたくねぇんだよ。

「お前が忘れても、俺もこいつらもずっと仲間だろーが?違うか?」

違うと言えたらどんなに楽だろうか。忘れ去る思い出と共に傷付けることなくお前らから離れられたら。なんて思っていた。だけど…



「いつかお前らの事だって忘れる。沢山笑って沢山喧嘩したことをいつかは忘れんだ」
「そやな、いつかは忘れるやろな。俺かて宍戸と喧嘩したのいつだったか忘れてもうたしな」

俺も忘れた!と慈郎が手を挙げる。

「ごめん…」
「宍戸さん…」

俯く俺を長太郎がそっと抱きしめた。それからずるい!と声がしてもう一つの温もり。金色のくせっ毛が頬に当たる。

「あー!!日吉が泣いてるぜ!」
「な、泣いてませんよ!」

その声がちょっと掠れて聞こえたのは言わないでおこう。だってそんな日吉、きっとこの先見れないだろ?

そんな日吉を見て、その場が笑い声に包まれる。
はしゃぐような笑い声も、涼しそうな笑い声も、ホッとしたような笑い声も、みんな覚えておこう。忘れないように何度だって思いだしてやる。









そして、季節は色んなモノを奪いさりながら過ぎていく。だけどそれを怖いとは一度も思わなかった。それはきっと仲間がいるからだろう。








ー秋ー


あきゅろす。
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