:6:泉視点(葉桜 初)
泉孝介は昼休みの廊下を全力疾走していた。
(もー限界…つかアレは無理だ、拷問だ…っ!!)
事の始めは、数分前に遡る。
中学に入学して一ヶ月が過ぎた。
だんだん慣れてきた学校生活に、未だに心臓に悪いことが度々起こる。
それは…
「あ、泉クンはっけーん!」
(げっ…;)
泉のクラスのドアから顔を覗かせ、笑顔で大きく手を振っている野球部のマネージャー、橘小都その人である。
声と顔を認識した瞬間、泉の顔は引きつった。
「あ、野球部のマネージャーさんじゃん」
「…あぁ、そうだな」
「行かなくていいのか?お前のこと呼んでるぞ?」
「…………」
小都が手招きをしているにも関わらず、席を立とうとしない泉にクラスの友達である山下が首を傾げる。
当の泉は視線を泳がせ、ドアのところにいる小都を見ようとしない。
(あの顔をしている時の小都先輩に近づくと碌なことがない…)
泉は此処最近の部活での出来事を思い出していた。
―――ある日のこと
「泉君!」
「?」
部活の休憩時間に呼ばれた方を振り返ると小都が立っていた。
「なんすか?」
「えへへ〜、ちょーっとこっち来てくれる?」
輝かしい笑顔のを不思議に思いながら傍まで行くと
ふわっ
小都の腕が目の前を横切ったかと思うと、頭に何か被せられたような感覚。
視線を少し落とすと、髪の毛が見えた。
(ん?髪の毛?)
自分は男で、このような長い髪は持ち合わせていない。ということは…
「かっわいい〜っ!!ほらっ!!」
興奮気味に言った小都が差し出した手鏡を覗くと、髪が長くなった自分が写っていた。
「な、なにこれ…俺?…つーかカツラ?;」
ショート寸前の頭をフル回転させる。
目の前には今だ興奮中の小都。
その後ろには呆れ顔の部長、哀れみの表情の浜田と他の先輩達。そして爆笑している同級生。
その中でも腹を抱えて笑い転げている高野の声を聞いて、泉は段々と自分が冷静になっていくのを感じた。
それと同時にフツフツと沸いてくるイライラ。
泉は自分に被せられているカツラを乱暴に地面に叩きつけた。
「あぁ!私の秘密兵器3号が…!!」
慌ててカツラを拾う小都に目もくれず、一目散に高野に向かって走り出した。
「てっめぇ高野!!お前マジうぜぇ!!笑い過ぎだゴラァ!!」
「だははははっ!!お前ホント似合い過ぎ!!今度から“泉ちゃん”って呼んでやるよっ!!」
「はぁ!?ふざけんなっ!!」
「い・ず・み・ちゃ〜ん!」
「ぶっ殺す!!」
殴ろうとする泉の拳から高野はひょいひょいと逃げ回る。
その後、泉と高野の追いかけっこは休憩時間が終わるまで続けられた。
――――――――――
―――――――
――――
このようなことが過去に何十回とあり、泉は小都の行動には常に警戒していた。
(あの笑顔はまた何か企んでる……と、思う)
そう、小都が事を起こすのは決まって部活の時間だけだった。
その他の時、例えば移動教室などの際にバッタリ出会ったとしても、にっこり笑って手を振って、一言二言会話をする程度…つまりは、普段はごく普通の先輩なのだ。
そして今現在は昼休み。
(まぁ、大丈夫…だよな?)
泉は昼食のメロンパンを持ったまま意を決して立ち上がり、廊下に出た。
「…な、なんすか?わざわざ1年の階にまで来るなんて。連絡か何かっすか?」
「あ、そういうわけじゃないんだけどね」
頼むから連絡事項であってくれという泉の願いはあっという間に砕け散った。
「今日のマネージャーの仕事がかなり大変で休む暇とかないと思うから、今の内と思って…」
そう言って、小都は持っていた少し大きめの袋を漁った。
小都の傍に来るまでその袋の存在に気が付かなかった泉は、嫌な予感がして背中に冷や汗が流れるのを感じた。
「泉君!コレ着ようっ!!」
そう言って小都が取り出したもの、それは…
“赤いスカーフのセーラー服(夏服)”だった。
それを目にした泉はピシリと固まる。
手に力を入れたため持っていたメロンパンが少しつぶれた。
「うちの学校の夏服でも良かったんだけど、うちのはリボンじゃん?ここはやっぱり王道の赤スカーフがいいよなぁって思って、昨日親戚の家から借りてきちゃった!」
(んなこと聞いてねぇよ!つかまず借りてくんなっ!!何考えてんだこの人!!!)
「今日中に返しに行かないといけないし、私部活中は手ぇ放せないし?やるならこの昼休み中ってことで!」
(訳分かんねぇ…ん?…今“今日中”って言ったか?てことは…)
泉の足が半歩下がる。
がしっ
「逃がさないよ?」
「…………」
どうやら心を読まれたようだ。
小都は泉の腕をしっかりと捕まえてにっこり笑った。
その時…
「お、いたいた。泉ー!」
「「!」」
泉の背後から浜田の声が聞えた。
それに小都が一瞬気を取られたのを泉は見逃さなかった。
「あっ!」
小都の腕を振り払い、素早くその場から駆け出した。
「英和辞書持ってるかー?」
進行方向にまったく状況を理解していない浜田が頭をかきながらこちらに向かって来ていた。
(一応、こいつのおかげか…)
浜田が話しかけてくれなかったら、今頃はまた小都のオモチャになっていただろう。
「ロッカーん中!山下に聞け!」
すれ違い様にそう言って、泉は走るスピードをさらに上げた。
後ろから小都の激怒する声と浜田の悲鳴が聞えたが、そんなことは気にしない。
泉は我が身の安全のため、その昼休みは走り続けた。
予鈴が鳴ってクラスに戻ろうと踵を返す頃には、手に持っていたメロンパンは握っていた部分に手の跡がくっきりと残っていた。
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