時刻は、もう辺りが闇に包まれ始める頃。 この日、僕はいつも通っている道とは違う道を走っていた。理由は、ただ何となく。 いつもは通らない道は、新鮮で、それでいて少し不安だった。そんな思いを抱きながら、海に面した崖沿いの道をゆっくりと走っていた。僕以外の車は、誰も走っていない。 街灯がないこの道を照らすのは、僕の車のライトと、現れ始めてた月の微かな明かりだけで、そんな中を歩いている人間を見つけるのは、困難だった。 危ないと思った瞬間は、既に何メートルも離れていない車のライトが、やっと人影を捉える頃だった。 直ぐ目の前には、少女が一人。 ゆっくり走っていたのが幸いに轢いてしまうことは無かったものの、ギリギリで止まったことに全身に冷や汗が流れ、心臓が激しく脈打っている。 しかし、自分のことよりも少女だ。 急いで車を降りて少女の方に駆け寄ってみるが、少女は俯いて立っているだけで… 「君、大丈夫だった?どこか、怪我してない?」 焦る気持ちを抑えながらゆっくりと訊ねると、少女は微かに首を振ってくれた。 とりあえず、怪我が無かったことにほっとする。 「君、何でこんな場所に… こんな時間に一人で歩いていたの?」 「………」 今度は、そもそもの原因であることを訊ねてみたが、返ってくるのは沈黙のみ。首を振ってくれることさえなかった。 俯いたままの少女の顔は、艶のある長い髪に隠れて見えない。 しかし、いつまでもこうしたままではいられない。 このまま彼女をここに置いて行くことは勿論出来ないし、かといって自分の家に一緒に連れて帰ってしまうのも、誘拐という立派な犯罪になりかねない… どうしたものかと悩んだ末、結局僕は、一端自分の車に乗るように言った。 けれど、少女は一向に俯いたままで、そこを動こうとしない。 「…大丈夫、だよ?」 身長さのある少女に対して、僕は屈んで顔を覗き込んでみた。 「っ!」 それは思わず息を呑んでしまうほど。整った顔立ちに漆黒の瞳… だけど、その瞳は虚ろで、涙は出ていないものの僕には泣いているように見えた。 「君…?」 「 …に …ぃ…」 「え?」 ふと、結ばれていた唇が微かに開き少女は何かを呟いた。しかし、至近距離にも関わらず言葉は聞き取れなかった。 「ごめん。もう一回言ってくれるかな」 「……、死にたい」 「え…?」 もう一度、耳を澄ませば今度ははっきりと聞き取れた。 だけど僕の口から零れたのは疑問符。 「なん、で?」 「…生きてる意味が、ないから」 「そんなこと…」 ぽつり、ぽつりと、それでいて淡々と言葉を紡ぐ少女に、僕は黙って耳を傾けた。 少女がこんな所を一人で歩いていた理由は、死ぬため、ということか。 少なくとも、予想外の答えを聞いて動揺している気持ちとは裏腹に、頭では冷静にそんなことを考えていた。 「…生きてる意味なんて、この世に君が存在してること自体、意味があるものだと思うけど?」 僕がそう言うと、少女はゆっくりと顔を上げた。 「……生きてる意味っていうのは… 誰かに愛され必要とされて、満たされて……私は、初めてそう思えるわ。それを無くしたから、意味がないって言ったの…」 「…君、」 「…そうよ、みんな、みんな…いなくなっちゃった…っ」 「………」 ああ、何てことだろう。 理由は分からないけれど、たぶん今日、彼女の言う"満たされていたもの"がいっぺんに消えてしまったのだろう… 死にたいと言ったのも、無理はないことかもしれない。 「なら… なら君は、生きる意味があれば、死なない?」 「え…?」 「君の命、捨てちゃうんだったら、僕にちょうだい?」 この時、ただ純粋にこの少女を救いたいと思った。 僕が今日、この場所でこの時間に少女と出会ったのは、偶然とも言える、必然なのだ。きっと… 彼女が無くしてしまった存在理由を、僕が与えてあげることは出来ないだろうか… 「生きる意味、僕が君を必要とするって言ったら、君はどうする?」 「……死にたく、ない…」 「所謂、一目惚れって言うのかな… 今度は僕が君を満たすものになりたいと思ったから」 微笑を浮かべながらそう言うと、僕を見上げていた彼女の虚ろな瞳から、涙が零れた。 それは、今まで我慢してきた分もあるのだろう。堰を切ったように次々と溢れ出した。 「…車に乗って?」 再びそう言うと、彼女はこくんと頷いて、少し途惑いながらも助手席に座った。 それを見届けると、僕も運転席に回って車を発進させた。 もう、これは誘拐事件にはならないだろう。 少女が落ち着くのを待ってから僕は訊ねた。 「僕の家でいい?一人暮らしだから広くはないけど」 「…本当に、私が行ってもいいの?」 「勿論」 間を置かずに答えると、彼女は幸せそうに微笑んだ。初めての笑顔だ。笑ってるほうが、断然いい… 「名前、言ってなかったよね?」 「ぁ、First Name・Family Name」 「First Name、か…いい名前だね。僕はキラ、キラ・ヤマト」 「キラ、さん…?」 「さんは要らないよ。これから一緒に住むのに」 「…うん、キラ…」 「First Name、君は僕と一緒に、生きていくんだ…」 二度と、死にたいなんて言わせない。 一人になんてさせない。 君のこと、まだ何も知らないけれど、僕は君の生きる理由になれるように… 精一杯君のことを愛するよ。 僕のために生きて fin |