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第7話




人の悲鳴と叫び声

人を殴る音

人が苦しんでいる声


そんなもの、今まで聞いたことなんてなかった。








「はぁ…」


鏡に映る自分の顔を見ながら、ため息をついた。

鏡の中の自分は、疲れきった表情をしている。

目の下に表れている、うっすらとしたクマ。

昨日はあまり眠れなかった。いろんなものが、グルグルと頭の中を駆け回っていたおかげで。

骸くんの言った言葉と、商店街の裏から聞こえた悲鳴。暗い裏道へと足を踏み入れたあの緊張と、人を殴るような音、苦しむようなうめき声、そして

冷たいツナの声と、鋭い目をした彼の顔。

頭の中で再生を始めた映像は停止することがなく、あの後ずっと流れていた。
おかげで眠りは浅く、寝不足は顕著なほど顔に表れている。

今日、本当は休んでしまいたかった。
ツナとは同じクラスだから、会うことは確実だ。
あの時、何も言わずに逃げ出してしまった僕は、どうやってツナと接すればいいのだろう。

それは昨日からずっと考えていたけれど、今に至っても答えが出ない。

ため息が、再び口からこぼれ落ちた。


「どうしたのため息なんかついて。下痢?」


トイレの個室から出てきた名無しさんと、鏡越しに目が合う。
まだ下痢ならどんだけ良かったか。
下痢なら正露丸で一発だけど、今の悩みには簡単に治す術がない。


「あいにく胃腸は元気です」

「じゃあなんでそんなに疲れて……あ、分かった。幼なじみくんだ」


名無しさんはニヤリと笑うと、隣で手を洗う。
全く、彼女はこういったことには勘がいい。
名無しさんは僕がツナを好きだということを知ってる、数少ない友達の一人だ。


「……別にそうじゃないんだけどね」

「ふぅん? じゃあ骸くんが今日いないからだ」

「いやいや、それでもない……てかなんでそこで骸くん」

「今日は授業中やけに静かだったからさ。悪友がいないのは寂しいのかなって」

「悪友って。まぁ確かに隣りがいないのは少し寂しいけど」


骸くんは二限目が終わった今、まだ学校には来ていない。
たぶん堂々と遅刻してくるか、堂々と欠席だろう。
それは今に始まったことじゃなく、彼は結構自由人だから先生ももはや諦めている。

今日骸くんが来たら昨日の話を詳しく聞こうかな、なんて思ったけど、どうしよう。

聞きたいような、聞きたくないような相反する気持ちがぶつかり、自分でもどうしたいのかよく分からない。


「そういえばさ、僕、骸くんが好きな上に彼と付き合ってるんだって」


骸くんの名前が出てふと思い出した、あの噂。
かなり広がってるみたいだったし、名無しさんも知ってたのだろうか。

そう思って言ってみたけれど、先にトイレから廊下に出た彼女は目を丸くしてこっちを振り向いた。


「は? なにそれ」

「って噂が流れてるらしい」

「まじで!? そりゃ初耳だわ。どこからそんなデマが……って言ってもあんた達仲いいもんね」

「仲いいのかな。至って普通だと思うのに」

「まぁ相手が相手だから。ファンに刺されないように気をつけなよ」


ケラケラと名無しさんは冗談のように言うけれど、冗談ですまないかもしれない可能性が高いことに、今気付いた。
そういえば密かに骸くんのファンクラブ(というか同盟というか)が出来ていて、その人達にあの噂が耳に入ったりなんかしたら……

「シ、シャレにならん」

「大丈夫、葬式は盛大にしてあげるからさ」


何が大丈夫なんだ全く人事なんだから、とため息をついた。
そんな僕をよそに名無しさんは、でもそれってさ、と話を続ける。


「沢田くんの耳に入ったら大変だね」

「あー、ツナはもうその噂知ってるみたい。てかツナから聞いたんだし」

「えぇ!? まじか!……で、なんて?」

「その噂本当なのかって」

「ふんふん」

「もちろん嘘だって言ったよ」

「ふんふん」

「……」

「……で?」

「で?」

「他は?」

「他……その後、好きな人の話になって」

「へぇ!」

「……そんな感じです」

「ふぅん」


名無しさんはニコニコ、というよりニヤニヤしながら私に視線を向ける。

彼女の言いたいことはたぶん、


「で、告白したの?」


やっぱり。


「まさか! 出来るわけないよ」

「えぇっ、チャンスだったのにもったいない!」

「告白する気ないし…」

「なんでよー! すればいいのに。……あ」

「うん?」

「噂をすれば、だよ」


急に声を潜め、耳打ちされたその言葉に心臓が跳ねた。

そして視界に入ったツナの姿に、体が一気に緊張する。

どうしよう、なんて迷ってる隙はなく。
向こう側から歩いてくるツナと、どんどん距離が近づく。

ここはとりあえずいつも通り挨拶しよう。
いつもみたいに、おはよ! と、とりあえず挨拶すればいいんだ。

そう思っていた、のに、




ツナはすれ違う瞬間まで、僕と目を合わせないようにしていた。




僕のことは認識してるはずなのに、こっちを見ないように通り過ぎていく。


話したくない、話しかけられたくない。
そういう雰囲気のように感じて、声なんてかけられなかった。


「ど、どうしたの二人とも」


心配そうな名無しさんに、すぐ返事が出来ない。

もう、もとの関係には戻れない気がする。

胸がズキンと痛み、同時に僕の中で何かが崩れる音がした。











2013.08.19

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あきゅろす。
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