第3話 「えー、このf(x)を微分することによって書ける増減表は……」 チョークが黒板を滑る音と、まるで眠くなる呪文のような先生の声を耳で感じ取りながら、ぼーっとノート上に視線を落とした。 もともと集中できない数学の授業は、今日更に集中できない。ツナのせいで。 昨日の帰りの会話を思い出しては、悶々と考え出してしまう。ツナは誰を好きなのかとか、僕が骸くんを好きというデマ(と、しかも付き合ってるなんてデマ)はどこまで広がってるのかとか、ツナは誰を好きなのかとか。 そんなこと考えるだけムダなのに、答えの出ない思念がぐるぐると頭の中を駆け回る。それが昨日からだから、疲れてしまった。 でも懲りることなく浮かび上がってくる同じ考え事に、もはや自分でもどうすればそれを断ち切れるのか分からない。 先生がグラフを書き出す。集中できない。 来年は受験だというのに、このままだと非常にまずいじゃないか。 浮かんでは消え、浮かんでは消えという雑念にだんだんとイライラしてきた。これも全てツナのせいだ、と、理不尽な怒りの矛先をツナに向ける。 それを紛らわすべく、僕は消しゴムを小さく切り出した。 先生はまだ黒板に向かっているから、やるなら今がチャンスだ。 消しゴムの小片を手のひらに置いて、狙いを定める。誰に? もちろんツナにだ。 僕はこんなに悶々としているのに、原因であるツナは頭を垂れながら授業をちゃんと受けている。いや、たぶん寝ているんだろうけど。それなら尚更、起こしてあげる必要がある。 そして、さあいよいよこれを発射するぞと意気込んだ瞬間、隣からかけられた声に中断せざるを得なくなった。 「何してるんですか」 てっきり寝ているのであろうと思っていた骸くんは、頬杖をつきながら僕へ視線を向ける。 そういえば、悶々とする原因は隣のこの人にもあったことを思い出し、すぐさま標的を骸くんに変えて発射する。 不意を討ったと思っていたそれは、見事に避けられてしまったけど。 「ちょっ、何なんですかいきなり」 「見ての通り、消しゴムで攻撃しました」 「ケンカ売ってるんですか」 「骸くんが邪魔するから」 「は? 何の」 「ツナを仕留めるいう僕の任務の」 そこで先生がこちら側を向き内容を説明し出したため、骸くんとの会話は一時中断。 僕は再びせっせと消しゴムを小さく切り、次の攻撃に備えた。 「沢田綱吉に恨みでもあるんですか」 先生が黒板に書き出した瞬間、再び骸くんに話しかけられた。 「うん、まあそんなとこ」と生返事をして、狙いをツナに定める。 ツナは起きてしまったらしい。面倒くさそうにノートを取り始めている。 照準は合った。そしてすぐさま発射……したのはいいけれど。 少し距離があるせいで標的には到底及ばず。 情けなくも僕の消しゴムは、ひょろひょろと墜落していった。 「クフフ、なんとも頼りない攻撃ですねぇ」 一部始終を見ていた骸くんは、小馬鹿にしたように笑う。 むっとして睨み付けると、貸して下さい、と手を差し出された。 「僕ならその任務、ちゃんと全うしてみせますよ」 いつも思うけれど、この溢れんばかりの自信は一体どこから生まれるのだろう。 そう思いながら、しぶしぶ小片を2つ渡す。失敗してもいいように、一応2つだ。 それが伝わったらしく、骸くんは「随分見くびられたものだ」とぶつぶつ言いながら照準をツナに合わす。 そして飛ばしたそれは、信じられないほど勢いよくツナに命中した。 「いてっ!?」 当たるのと同時にツナが声を上げる。 それは、とてもよく響いた。 みんなの視線は一気にツナへと集中する。 「沢田、どうした?」 先生が手を休め、ツナに話しかける。 「あ、いや…何でもありません」と恥ずかしそうに俯くツナに、申し訳なく思った。 あちゃーと思う僕と反対に、隣のこの人は。 どんなもんです、と言いたげに、にこやかな表情を僕に向ける。 そして先生が黒板に続きを書き始めた瞬間、ツナがこっちを振り向いた。 罰が悪くて僕はとっさに目を逸らしたけれど、またまた隣人は僕と正反対な態度で、自分がやったということを隠しもしないようだ。 いつもの薄笑いでツナを見据えている。 それに対してツナはどうなのかと彼を見ると、彼は「骸!?」と驚愕したように、声を出さず口を動かしていた。 そして、何すんだよといいたげな顔で僕と骸くんを交互に見ていたその時、運悪く黒板に書き終えた先生がこっちを振り向く。 「それじゃ誰かこの問題を……ん? 沢田ー、後ろ向いてないでこれやれ」 ご指名がかかった途端、ツナは大きく肩を震わせた。 ああ、こんなことになるなんて。 僕が失敗した時点で止めとくんだった。 そう思いながら骸くんを見ると、彼は楽しそうに笑っていた。 「骸! 一体何のつもりだよ!」 休み時間、案の定というか、ツナは席を立つなり真っ直ぐこっちに来た。 骸くんは椅子に凭れて浅く座り、その長い足を組みながらツナを見上げる。 「おや、何がです?」 「何がです? じゃないだろ! さっきの授業! 消しゴム!」 「ああ、あれですか」 ツナが何に対して怒ってるか最初から分かってるだろうに、骸くんはわざともったいぶるように言い、チラリと僕に視線を寄越す。 ……あ、まずい、ばらされる。 「あれは彼女から仕掛け始めたんですよ。僕はその手助けをしただけです」 「う…」 「え、本当なの六銭」 「いやあ、出来心というか何というか」 「出来心って……おまえな」 「無理やり頼まれて仕方なくやったのに、真っ先に非難されるとは心外ですね」 「え、僕、無理やり頼んでないよね?」 むしろ骸くんの方が進んで申し出てきた気が。 そのことを伝えようとした時、ざわつく教室に聞きなれた声が入り込んだ。 「骸さーん、腹減りました!」 「十代目、お昼にしましょう!」 教室の前のドアには城島くんと柿本くんの姿が。後ろのドアでは獄寺くんと山本くんの姿があり、同じタイミングでそれぞれの友人の名を叫んだ。 それを聞き取ると、骸くんはゆっくり席を立つ。 「面白いものも見れましたし、午後はふけましょうかね」 ふけるということは、骸くんとは今日はもう会わないんだろう。 そんなことを思いながら、歩き始めた彼に目をやる。と、その時ふと思い出したことがあった。 とっさに黒板を見て確認すると、やっぱりそうだ。 「骸くん、今日うちら日直だから、放課後にはちゃんと帰ってきてよ」 危うく見送るところだった。 彼は僕の言葉に驚いたような顔をすると足を止め、すぐさま黒板に視線を向けた。 日付の下には、僕と骸くんの名前が並んでいる。 それを確認すると、眉をしかめて僕を見、口を開いた。 「……気が向けば」 え、気が向けばって何ですか。当番なんだから、気が向いたらも何も関係ないのに。 まさかこの人、僕に全て押し付ける気では。 再び歩き出した彼に、ちゃんと帰ってきてよと目だけでメッセージを送るも、それは跳ね返されたような気がした。あくまで気がしただけだけれど。 「……おまえら、本当に仲いいな」 ボソッと呟いたツナの声は聞き取りにくくて「え?」と聞き返すも、彼は何でもないよ と返事をする。 「もう授業中に消しゴム投げるなよ」 そう疲れたようにため息をつくと、ツナは教室を出ていった。 2009.10.25. *backnext# [戻る] |