02
編入が決まったのは二年に上がって程なくした頃。
日々のストレスを身体にぶつけるようになった事が原因だった。
初めは爪を噛む程度だったものが、次第に唇の皮を血が出るまで剥いだり、無駄に眉毛を抜いたり、限度を超えてヒートアップしていった。
最終的には食べ物をまともに受け付けなくなって、ベルトの穴を以前よりズラさないと履けなくなった。
流石にここまで悪くなれば親も気が付いて、色々話し合った結果、逃げる選択を迫られるようになった。
自身のセクシャリティについては話せなかったけど正直俺は学校を辞めたかった。
でも簡単に辞めるわけにもいかず、最終的には叔父が理事長をしている学園の話が出た。
ただその頃は丁度進級を目前に控えた春休みの最中で、編入するにしても微妙すぎる時期だった。
その事が原因でこれと言う答えが出せずにいると、思い悩む俺を見兼ねた両親が叔父に相談し、一度学園の見学に来てから決めれば良いと言われた。
この春休みの訪問で俺の世界が変わった。
後に知り合う鳴海要と天野彼方の二人に出会っていたのだ。
バスの本数の関係で1時間早めに着いた俺は、満開に咲いた桜の木の下でぼぉっと雲の流れを見つめていた。
「綺麗な場所……、」
こんな風に空を見上げるのはいつ振りだろう。
ふと、目を瞑って思い出すのは、要らない物ばかりが溜まった自分の部屋か、教室で俺をホモ扱いする連中の笑い声ばかりだ。
パッと目を開ける。
やはりここは視界が広い。
まるで別の世界に来たみたいに心が開放的になって、俺は頭の中で『上を向いて歩こう』を歌った。
上を向いて歩こう
涙がこぼれないように
「上向いても…涙って溢れるのな。」
ポロポロと今まで我慢してきた涙が溢れ出す。
あぁやっぱり、疲れていたようだ。
もう何も考えたくない。
そうやって感傷に浸っていると、向こうの方から綺麗な生徒が二人歩いてきた。
「あっ……、」
俺の存在に気が付いた彼らは、一度互いに顔を見合わせてから俺の方に歩み寄ってきた。
「何かありましたか?」
「いえ…ずっと空見てたら目が痛くなっただけで…だから大丈夫です。」
「あ…すみません…じゃあ行こうか。」
「はい。」
二人とも顔立ちが派手だから記憶には鮮明に残っている。
後に分かった事だが、この時の二人は天野彼方と並木先輩と言う人だった。
ただその時は、綺麗な景色、そして在学生までもが綺麗だと言う環境に驚いたのをよく覚えている。
その感動は背筋が寒くなって身震いするほどだった。
「理事長の甥の、田代さん…ですか?」
「…っはい、」
カルチャーショックというか、感じ取るものが多すぎて時間の流れをすっかり忘れていた俺は、無駄に男前な生徒の声で現実に呼び戻された。
「どうも。生徒会長の鳴海要です。俺が理事長室に案内します。」
「すいません。お時間を作って頂いて…、」
「いや、俺は案内するだけなんで。」
俺を安心させる為にニコリと笑った彼は、言葉通り理事長室まで案内をしてくれた。
その移動までの十分ほどは、学内の簡単な説明や当たり障りのない世間話で進んでいった。
チラリと彼を盗み見る。
彼は仕事として俺に話しかけ、案内をし、淡々と役割をこなしていった。
きっと友達にはなれないだろう。
むしろ友達なら、さきほど出会った二人の方が見ず知らずの俺にも話しかけてくれたし、幾分も優しかった。
いつかは友達になれるかもしれない。
…こんな捻くれた見方でしか人を判断できなくなるなんて…本当に何もかも変わってしまったようだ。
「もうすぐ理事長室です。」
「あ、はい…。ありがとうございます。」
あっと言う間に別れの時。
次に会うことがあっても社交辞令程度の会話しかしないだろうと、適当にお礼を告げた。
「ところでアンタ、なんで泣いたんだ?」
「え……?」
「顔、泣いた跡がある。」
彼は……要は、立ち止まると俺の顔を見つめてそう言った。
急に方向転換した会話の内容にドキリとする。
咄嗟に言葉が出なかった。
「なにか嫌な事でも…?」
「……空、見てたら、あまりにも綺麗で、」
「確かに…今日は天気が良いよな。」
「目が痛くなって、それで…。」
さっきと同じ理由を述べてみせると、要はフッと可笑しそうに笑った。
「何があったか知らねぇけどさ、俺も、疲れてる時に”ここ”の空見たらたまに泣けてくる事もあったわ。」
「……、」
こことは、学園から見る景色のことだろう。
自然に囲まれた学園はどこを取っても綺麗で癒される。
空だって何処にでもあるものなのに、特別輝いて見えた。
「じゃあな。泣き虫な理事長の甥っ子。」
「っ…!泣き虫じゃねぇよ!泣き虫な会長さん!」
要はポンッと俺の頭を叩いてから、可笑しそうな笑い声と共に立ち去っていった。
ムスッとして顔を上げれば理事長室の札が視界に入る。
どうやら悪い奴ではないらしい…。
少しだけ、この学園のことが好きになった。
そして、何故だか久々に人の笑い声を不快に感じなかった。
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