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宝物(小説)
3

 上機嫌の静蘭が衣の止め具を外し始めて燕青は焦る。
「ま、待て。このままだと衣装が汚れるぜ」
「別に洗えば済む話だ」
「や、洗うって、これ絹だろう。そんな簡単に洗えるモンじゃないだろうが」
「何とかなる」
「そんな手間かけなくたって、これ解いて脱いだら済む話じゃねえの」
「やけに絡むな。嫌なのか?」
 嫌に決まってる。喉まででかかった言葉を燕青は慌てて飲み込んだ。いつになく傷ついたような顔で静蘭が俯く。
「い、やじゃない」
「嘘をつけ」
「や、まじで。ただ折角作った衣装汚したら勿体無いから、そんだけだって」
 静蘭の顔を覗き込みながら、燕青は言い募った。衣装と手首の戒めさえなければ、途中でいくらでも形勢は逆転できる。それよりもへそを曲げられて、このまま置いていかれることの方が怖かった。
 むくれて黙る静蘭の唇を下から掬い上げるように奪う。優しく触れるだけの口付けを繰り返して、噛み締めた唇を舌でなぞると、薄く唇が開いた。
「せーらん」
 舌先を軽く触れ合わせて名を呼ぶ。翡翠の瞳を至近で覗き込むと、しぶしぶ静蘭が頷いた。


 手首を解いてもらうと、すぐに燕青は衣装を脱ぐ。流石に床に脱ぎ捨てるのは気が引けて、椅子の背にかけた。衣装は長衣と裳だけだ。脱ぐのにそう手間はかからなかった。
 脱ぎ終えて振り返ると、静蘭は寝台の上でむくれたまま、所在なさげに腰帯を弄んでいる。思わず回れ右したくなるのを堪えて、燕青は寝台に乗り上げた。
「手を貸せ」
 仏頂面で言われて、燕青は天を仰ぐ。やはり誤魔化されてはくれなかったか。天に向かって溜息をひとつ吐くと、燕青は静蘭を見た。
「やっぱ、縛んの?」
「当たり前だ。おまえ、手さえ自由ならどうにでもなると思っただろう」
 思ったけど。声に出さずに胸中で答える。
 静蘭も男なのだからたまには抱かれるのでなく抱きたいという気持ちはわからないでもない。毎度毎度燕青に翻弄されている静蘭が、燕青の両手を封じておきたいという気持ちも、まあわかる。
 それでも。
 それでも、絶対に抱かれるのは静蘭の方が様になるはずなのだ。いくら綺麗に化粧をされていても、体格や声までは変えられない。抱かれて乱れる自分の姿など想像するだけで萎える。と燕青は思う。静蘭だって途中で後悔するに決まっているのに。
「よくしてやると言っているんだ。おまえは大人しく感じていたらいいんだよ」
 まるで悪い男のようなことを言う静蘭に、燕青は泣きたくなった。


「や、優しくして……」
 寝台に押し倒され覆いかぶさられて、声が上擦る。静蘭が不快げに眉を上げた。
「おまえ、私をなんだと思っている」
「や、信用してないわけじゃないけど、心の準備が」
「気色悪いことを言うな。どこの生娘だ。おまえは」
「だって……」
「だってじゃない。化粧をしたからといって、中身まで女々しくなるな」
「化粧したのは静蘭じゃんか」
「煩い」
 煩いなんて酷いという抗議の言葉は音にはならなかった。静蘭の唇に甘く奪い取られて溶ける。
 絡む舌も肌を滑る指も意外なほど優しかった。少し駄々をこねすぎただろうかと燕青は申し訳ない気持ちになる。普段自分が静蘭にしていることを、自分はされたくないなんて、やはり身勝手だった。思って燕青は息を吐く。
 静蘭の唇は頬に触れ、首筋をくすぐって鎖骨に落ち、胸を辿る。物足りなさを感じるほどの遠慮がちな愛撫は普段と少しも変わらない。
 静蘭はいつもこうして燕青を誘うのだ。燕青が昼間の泰然とした顔を捨てて、牡の顔になるのを待っている。
 実は今もそうなのではないかと思うと、じわりと熱が高まっていくのを燕青は感じた。やがて躊躇いながらもそれに触れた静蘭の羞恥と欲の入り混じった表情もいつも通りで、燕青は確信を深める。
 上目遣いに燕青を盗み見た静蘭と目が合って、燕青は思わず唇を歪めた。静蘭はむっとしたように燕青を睨んで、手の中のものを些か乱暴に握る。そうして静蘭はこくりと小さく喉を鳴らすと、それに口付けた。
 初めは恐る恐る、やがて燕青の熱に煽られるように静蘭も夢中になる。頭を低く埋めて、代わりに腰が高く上がるのにも気付かない様子の静蘭に燕青もまた煽られて熱い息を吐いた。普段ならとうに体勢を入れ替えているところだ。顔にかかって邪魔そうな髪を梳きあげてやりたかったが、縛られているせいでそれさえもままならない。
 口だけでいかせようとしているかのように、静蘭はいつになく大胆で執拗だった。静蘭のように矜持が高く美しい若者に口で奉仕させるのは、それだけでくるものがある。背徳的な行為は燕青をこのうえなく煽った。
「せーらん、もういいから」
 胸の前で縛られた腕を伸ばして指先で髪を梳く。思うようには触れられなかったが、静蘭が顔を上げて燕青はほっと息を吐いた。
「良くなかったか?」
「や、んなことないって。すっげー気持ちいいから、もう限界で」
 不安げな眼差しを向けられて慌てる。静蘭は怪訝そうに首を傾げた。
「俺だけ良くなっても意味ないだろ。それじゃひとりでするのと変わんないじゃん」
 濡れた唇をなぞると、静蘭が指先を甘噛みする。奥へ侵入させると、目蓋を伏せた静蘭が指に舌を絡ませてきた。ときおり軽く歯を立て、音を立てて吸う。興奮しているのか息が荒い。唾液が零れて顎を伝う。
「やらしいな、せーらん。舐めてるだけで興奮した?」
 揶揄の言葉に静蘭の眼差しが険しくなった。歯を立ててくるのに、大仰に眉をしかめる。実はたいして痛くはないのだが、大袈裟に痛がって見せれば静蘭の態度は面白いほど軟化するのだ。
「いってー」
「余計なことを言うからだ」
 声は憤然としていたが本気でないのは目を見ればわかることだった。熱に潤んで蕩けるような翡翠の瞳。これほどに静蘭も煽られているのならば先に進まなかったのは、単純にこの先どうしたらいいのかわからなかったからかもしれない。思い至って燕青は頬を緩める。なにかとはすっぱぶって見せる元公子様だが、一皮向けばこんなに初心なのだ。
「でもじゃあ、ずっとこうしてんの?」
 訊ねると静蘭があからさまに怯む。意地っ張りで素直に欲しいとは言えないくせに、主導権を握ろうなんて明らかに自殺行為だ。頭は悪くないはずなのに、どうしてこうやることが奇天烈なのだろうか。
「慣らさないと入んないぜ」
 追い討ちをかけると、静蘭がぐっと言葉に詰まった。
「わ、わかってる!」
「俺がやろうか?」
「自分でできる!」
 墓穴堀まくりだ。燕青は堪えきれずにくつくつと笑った。こうして静蘭が迷走するのを眺めて見ているのも勿論楽しいのだが、燕青としてはさっさと先に進みたい。静蘭が自分で慣らすのを見ながらお預けなんて、どんな拷問だ、と思わずにはいられない。
「そんなつれないこと言うなよー。もう限界って言ってんじゃん」
 不自由な腕を寝台について、なんとか上半身を起こす。真っ赤になってむくれている静蘭を引き寄せた。
「焦らすなよ。頼むから。な?」
 耳元で囁いて耳朶を噛む。耳や首筋を唇で愛撫しながら、帯を抜いただけの上着の裾から手を滑り込ませた。静蘭は身を捩って、燕青の手を乱暴に払いのける。
「いつもいつも、そうやって自分ばかりがわかっているような顔をして。わたしだって、ちゃんとおまえのことを見てるし、ちゃんとわかってる」
 静蘭が吐き捨てて、燕青は目を瞠った。
 いや、現に全然わかってないし……と胸中で突っ込みを入れる。風呂場からこっちは煽られっぱなしだというのに、縛られてやる優しい男なんて自分くらいのものだ。溜息を吐くと、それをどう取ったのか静蘭が憤然と立ち上がった。
 些か乱暴な手つきで衣を脱いでいく。ばさっと床に衣を投げ捨てる仕草が無駄に男らしい。
 ほんと無駄……。溜息をつくと険しい視線を向けられる。静蘭は燕青の姿を冷ややかな眼差しでひと撫ですると、なんとも形容しがたい微妙な顔をした。
「隠してろ」
 声と同時に上着が投げられる。ああ、そういうことね。納得して燕青は上着で腰の辺りを隠した。化粧をした挙句、全裸で手首を縛られている自分の姿を想像すると頭痛がする。
 燕青は胡坐をかいてそこに両肘を突いた。広げた掌に顎を乗せる。燕青はもう何度目かわからない溜息を吐いた。


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