一つの試練と思うべきか 地獄の特訓から一週間。遠征に出ていた信玄様とそれにくっついて行っていた弁丸も昨日帰ってきた。そう今日はいよいよ問題の日。上手くできるか不安と緊張で心臓が破裂するんじゃないかってくらいバクバクいっている。今まで過去にないくらいの緊張で死ねるんじゃないかとも思える。 「人を三回書いて飲むっ!」 「……何それ?」 こんな勢いを付けてやる事じゃないだろう。人を手のひらに三回書いて口に当てて飲む込む素振りを見せると佐助が目を丸くしてこちらを見る。 「緊張を解する方法」 深呼吸しても落ち着かないんじゃこれしかない。部屋に入るときに転ばないかとか色々考えてしまう。あたしの失敗で全てがパーになるのも当然イヤだし。 「そんなので解せるの?」 「知らん。気の持ちようじゃない」 呆れたような表情の彼にきっぱりと返せば、意味ないじゃんと尤もらしい返答がさらに返ってきた。確かにそうなんだけど一種の自己暗示にもなるかなぁと思って。一応あたしだって緊張の一つや二つはするわけだし。やらないよりはやった方がとか安易な考えを実行したまでで。 「弁丸の機嫌は?」 「お館様が何とか宥めてる」 昨日、帰ってきて早々にその話になり真面目な弁丸は人に嘘を吐くのが嫌いなため、今回のでっち上げなんちゃって婚約者をあたしにやらせるのを大反対していた。断ればいい。某はその様なことは一切考えておらぬ。と断固拒否の態勢を見せていた。堅物と言っていいほどの弁丸は人に嘘を吐き騙すのは我慢ならないと。あたしだってやらなくていいのならやりたくはないけど、ここまで頑張ったわけだし信玄様の役に立つのならこれくらいのことはした方がいいだろう。 「話の最中にバラさなきゃいいけどね」 「それ言われると俺様頭痛い」 なんせバカ正直な弁丸だから何やらかすかわからない。大人しく言われたとおりにしてくれればいいんだけど。信玄様のましては武田のためにと言えば考えてはくれるだろうし。正直に言ったからといって弁丸の結納話がなくなるわけでもない。 「まっ、弁丸様は信玄様に任せおけば大丈夫でしょ」 「だといいけど」 全てが水の泡〜とかならなきゃいいけど。とはいえいくら弁丸でも信玄様の顔に泥を塗るような真似はしないはず。 「そこら辺は弁丸がそこまで馬鹿じゃないってことを祈るよ」 まさかまさかな事が起きなければ大丈夫。その辺りのフォローも出来るように見てなきゃならんのか。 「哀歌様。そろそろ時間です」 「あ、はーい」 弁丸のことを考えてたら緊張してたこと忘れてたけどもう目の前に迫ってるとわかると一気に緊張が復活してきた。人の心配より自分の心配をしなきゃならんかった。初めて会う人にいきなり弁丸の許嫁だとか言わなきゃならんし。 「ヤバっ……吐きそう……」 「哀歌ちゃんって本番に弱い?」 だって失敗したらどうにかなるのが自分だけならいいけど迷惑が掛かるのが信玄様や他の家臣の人らだと思うと吐き気も襲ってくるっての。 「しょーがないなぁ……哀歌ちゃん」 人がパニックを起こしてるなかグイッとあたしの両頬に手を置いて自分の方に向かせる。チュッと音を立てたのはあたしの額から。一瞬何が起こったかわからないけど、すぐに理解した。佐助があたしの額にキスをしたって。 「ちょっ!何を!?はいぃ?」 いきなり何すんだと言わんばかりに顔を上げるとあたしの頭が佐助の顎にヒットした。悲鳴にならない声を上げて顎を押さえる佐助にあたしは真っ赤な顔を向けていたに違いない。 「いててて……緊張を解そうと…」 だからと言って……く、悔しい。 「ったく……失敗したら責任取ってよね!」 ほんとに悔しい。さっきまでの緊張が吹っ飛んだ。額に残る感触に頭の中は集中してそれどころじゃない。感謝するのも悔しいくらい。コツンっとオレンジ頭を叩いて向かうべき部屋へと向かう。後ろから哀歌ちゃんなら大丈夫よ〜とか無責任な言葉が聞こえるけどとりあえず無視しておこう。 「……ムカつく」 アイツの手のひらの上にいるみたいで嫌になる。しかもそのおかげで無事に事なく話も済んで一安心だし。 翻弄しないでよ!!(ああ、もう!何よこれ!?)(哀歌が壊れた…)(俺様…マズい事した?) [*前へ][次へ#] |