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新化猫/前編6




「お、俺は全く記憶にない。…よしそうだ!端から名前、年齢、職業!どこで俺にあったかを言え」






雑にまわりの人の顔をざっとうかがう男に、一番眉をひそめたのはあのおさげの子か。立場上この男が不利であるのは一目瞭然だというのに、どこからこんな自信があふれてくるんだろうか。「そうそう、その口調ぉ!!」とおさげの女の子が怪訝そうに顔をしかめた。





「私野本チヨ、二十一歳!駅前のカフェで女給してまぁす!」




あの笑顔をこぼす。なんとも軽いノリだと思ったが、"カフェ"か…。俺のところにいるあいつらの顔が浮かんだ。確かに可愛いし、お洒落そうだし、何より明るい感じがする。でもあいつらとこの子を比べたら何故だかおかしくて笑いそうになった。




「職業婦人の、花形ですね」

薬売りが一目見る。そうだ、花形。あいつらには似合わない、と頭で考えてしまい鼻をこするふりをして口元を隠す。




「茶々を入れるな!俺はカフェなど行かんぞ!!」

「違いますぅ!刑事さん聞き込みにきたんじゃないですかぁっ」






「…刑事?」




隠した口元で独り言をこぼす。
あんな男が警察をしてる時代なのか。此処にいる事よりも不安だ…。それにしても、刑事と聞く前に殴りかかる事ができてよかった。もし俺があいつを警官だと知っていれば、殴りかかる事なんてとても出来なかっただろうし、貴重な経験だ。きっと誰にも言わないだろうけど。






「…いつ、ですか」





警官が、野本チヨの働くカフェに聞き込みに行った。



「えぇっと…三、四ヶ月前よね!」

「そうそう!!……っえ…なんで?」




どうして

答えたのはチヨではなく、あの主婦。

どうして、知っているのか。


手帳に詳細を書き込んでいた帽子の男の手が止まる。次に注目を浴びたのが、その主婦だった。




「…刑事さん、部下の方たちとうちにみえて、外でずっと煙草飲んでらしたから忘れてたわ…!あ…、山口ハル。専業主婦です」

「…トシ」

「!、失礼よ!!」


「…三十五になります」






相変わらず無礼極まりない発言だとは思うが、警官として業務をこなす事を思えば確かにぶれなさそうないい態度だとということは認める。

かばうチヨは萎縮して、ため息をついた。



彼女の主人は肺をわずらい既に五年前に他界。現在は姑と暮らしているらしい。




「本当に覚えてないんですかぁ!」

「俺は貴様と違って忙しいんだ!!」






山口ハルの表情が曇る。


「いちいち覚えてられるか。早く説明しろ!」

「刑事さんその前に名前と年、言いなさいよ!!」


二人の攻防の勢いは大きくなる一方。ずっと薬売りの後ろにいるのもそわそわしてくるまで頭も冷えた模様。そっと隣を横切って、山口ハルの正面に座る。

それにしたって目をあわせないな。あわせないというか、目が泳いでいる。

あの警官がにらんでいるように感じるが、あえて気付かないふりをする。チッ、と舌打ちが聞こえた。







「気の強ェ譲ちゃんだ…。門脇栄(さかえ)、四十ちょうどだ。南署勤務だ。」






ようやく身の内を晒し、チヨは誇らしげな顔をみせた。





「じゃぁヒントー。うちの店の常連の女の人でね。あー…今をときめくモガよモガ!あ、しかもそれだけじゃなくて男装の麗人っていうの?それがもうキラッと光ってて----」

























チヨが何のことを話し出したのかよく分からなくなってきた。聞けば聞くほど、言ってみれば単語が理解しがたい。モガって確か、モ、なんとかガールっていう略称だったか…今をときめくってことは流行、あいつらもどこでそんな情報を掴んで来るのか。だてに洒落たものが好きなだけじゃなかったんだな。

正面、ハルの隣にいる少年は既に話に興味を持っていないようだし、車内をきょろきょろとしている。






「ふ、朔太郎が理解できていないようですぜ」

「!」

「モダンガール、ですよね、チヨさん」





人差し指をたてて上機嫌に話すチヨが大げさにうなずく。でもーーと続けて…





「その人電車に轢かれて死んじゃったんだよね」

「轢いたつもりはない!!!」






!!


















頭をかかえて座り込んでしまっていたはずの運転手が立ち上がっていた。チヨが肩を跳ね上がらせて硬直する。彼女も思わず立ち上がって、薬売りは--目を細めた。



一喝に近い緊迫した声色でその場を制すと、運転手は再び座席に腰かけ、唇をかみ締めた。




「…つもりはなかった…」


「毎朝日報…列車……!あっあれか!」






栄が顎に手をおいて何かの単語をぽつりぽつり呟き、何かを確信する。結びつけたアレ、…というのはチヨのいう電車に轢かれた、列車事故の事らしい。






「そうだそうだ。あれを運転していたのはお前さんだ!…名前は確か…」

「…木下文平(ぶんぺい)、二十八歳です…。あんなのとばっちりです…。陸橋で飛び降りて死んだところに、たまたま僕の電車が通りかかっただけで…」



「…飛び降りた」





顔を両手で覆う文平は、それがトラウマ的なものになっているらしい。肩の上下が激しくなっていく。





「大体あれが人間だったなんて後から知ったんですよぉぉ!!!」

「わかったわかった、落ち着け。お前さんは悪くない。大体アレはとっくに"自殺"で型がついたんだよ」






地下鉄列車の運転が初舞台ではない。過去に外を走る列車で死んでいたとは言え人をはね、現在原因不明の異常事態に巻き込まれ…、両手のひらの奥で、僕は出世街道から外れたんだと嘆く。災難ではあるが。








「そうか…そうだったのか…!」







頭をかかえた、次はあの帽子の男の話。
薬売りはひょいと隣へ視線をうつす。今までは運転手の向こう側にいてよく見えなかったが、背を丸めてうつむいた運転手の背中ごしに顔が見えた。--顔色が悪い。薬売りが薬でも出しましょうかとたずねた。

男はそれを拒むと、手をおろす。



「森谷清(きよし)です…普段は新聞社のデスクを…」

「あぁ。だから…手帳」



文屋、清は俺を見て小さくうなずく。ひざの上には手帳と鉛筆。





「今日は人手が足りず…私が取材にっ…」





それだけをいうと、おろした手をこんどは顔にあてがう。冷や汗が流れ、明らかに様子がおかしかったが



「あの仏さんは、こいつの部下だったんだ」






栄の言葉に、無意識に指がぴくぴくっと痙攣する。
今までの話で共通の関係を伴ってくるのは、列車事故に関することか。だとすると俺は何も知らないわけだが。





「じゃぁあの人女性記者ぁ…?すっごぉい」

「名前も洒落てたでしょう、…確か…」

「あたしよーく覚えてるわ!市川節子っ!漢字の名前羨ましかったもぉん…」








チヨがうっとりと目を輝かせる。




(そういえば…)





チヨに当選券を見せてもらったとき、片仮名書きだったな。おそらくハルも。珍しいんだろうけど市川節子なんて名前は聞いた事がない。



何かの間違い







「何かの間違いだ!!」







少年が椅子から飛び降りる。


「僕は誰も知らない…!どうしてこんな所に閉じ込められなきゃいけないんだ!……っはやく、出してくださいっ…!」




後半が涙声になって、ついに泣き出した。チヨが駆け寄って背中をさする。誰も知らない、話にもついていけない、一人子供で寂しく不安だったんだろう。



「ボク、名前は?」

「…ぅ、小林、正男(まさお)…」

「学校は?」

「今は…尋常小学校卒業して…牛乳配達…」

「そう…朝早くて大変でしょう」






手帳に筆を走らせる栄と清。

チヨのやさしさに、少し笑みがこぼれた。
牛乳配達、…早朝か。こんな小さい子でも働いてるのか。







「…そういえば!列車があそこを通過したの、確か朝五時ごろです」

「霧ヶ原陸橋だな」

「その節子って人が、飛び降りたところか?」





刑事はうなづく。正男は配達でその陸橋を通る。
ここも、つながる。その反面余計に俺は苦しくなる。



俺はその陸橋も知らない。節子も知らない。ここにいる人も薬売りとチヨ以外知らないし、知ったのも昨日今日のことで皆との関係性も脆く軽い。






「……」




残された俺を見る。

座っているのに、足元が崩れ落ちそうだった。








「…沖田朔太郎、十六歳。今は親父が運営してる宿の手伝いをしてる」

「そういえばさっき刑事さんに当選券もないのにどうとか…」

「それは…」








俺が答えるのかと勘違いしたのか、清は手帳の新しいページをめくり書き取ろうと準備をする。

俺が口をつぐんだことに顔をあげた。






「朔太郎はこいつを俺に届けようとしてくれたんですよ。なんなら、俺から謝りますから」





薬売りが腕を顔あたりまであげる。手首からつりさがる鈴。刑事は何も言わなかった。清は手をせっせと動かす。





「薬売りさん、それ…鈴?なんか…大分磨り減ってるというか…」








一言で言えば、…俺も汚いと最初は思った。
あえて言葉にはしないが、チヨも同様のことを考えている模様。薬売り自身もそれは承知のことなのか、確かにね、と深く目をとじ、ひらいた。







「大切な宝物、なんですよ。…私にとって。


ですから」





薬売りが俺を見る。






「本当に感謝しています。まさか落としていたとは。四六時中胸にいれているので、ね。」







やさしく笑う顔は、宿にいた時と同じだった。
薬売りはさっき、それを見て何を考えていたんだろう。
目があってしばらく、非常に照れくさくなって頭をかいた。またあの嬉しさがこみ上げて、単純な奴だと思う。

そんなに大切なものならその鞄みたいなものに入れておけば良いのに、とチヨは首をかしげた。







「…」






俺の顔から笑みが消えたのは、その質問に対してかは分からないが、薬売りが小さく首をふったのが見えたから。

とても小さなもの。気付いたのは、俺だけ。


少し考えてみてもう一度薬売りをみると、何事もなかったかのような面持ちでそこにいた。それがまた心にひっかかったがこの際気にしないことにした。







「どうでも良いが聞くにそいつと列車事故と何の関係があるんだ?」








栄が地団駄を踏む。頭に何も思い当たることがなかった。その時、薬売りがぽんと…わざとらしいが、手のひらにこぶしを打った。鈴が鳴る。



「…朔太郎、確か今朝、本館が取り壊された、とか言っていましたね」

「……あ!」












--あの鉄道、親父が嫌いなんだ。地下鉄はどうか知らないけど、俺がまだ小さい時、本館のあった土地を強引に買い取って全部線路にしたって…--

















「やっと、繋がりましたね」






薬売りがこぼす。
無数の線が、重なりだした。



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あきゅろす。
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