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花と方舟




一つ解くたびに、ずしりと体が重くなる。文字は踊りだす。理由は、分かっているのだけれど。


テストが一週間後に控えており、なみこは焦っていた。どちらかというと焦る必要もないほどに対策は万全だったのだが、何故だか勉強をしても全くといっていいほど安心ができなかったのだ。
しいて言うならば、自分の限界が分かっているからなのかもしれない。
(今まで頭がいい時なんて、なかったからなぁ)


今日は土曜で休日なのだが、友人の有沢志穂と図書館で勉強会を開いていた。彼女はとても頭が良く、この間のテストでは学内総合で第三位という好成績をおさめるほどの上位組である。
なみこにとって彼女は勉学の神様だった。勿論、大げさな表現なのだが。
前回のテストまでは、学内のどこかで放課後など空いた少しの時間だけ勉強を教えてもらっていただけだったのだがやはりそれだけでは足りず、休日もわざわざ出向いてもらっている。
有沢も自分の勉強があるのだろうが嫌な顔一つせずに付き合ってくれる、やはり神様と言っても過言ではない。

「ねぇ、大丈夫?」
「……ん?え?」

肩をつかまれ、指先が揺れた。顔をあげた先には、夕日を背に心配そうな顔をした有沢だけで、昼間あんなに人が出入りしていたはず図書館だったが、そろそろ閉館時間な為に数えられるほどの人数にまで減っていた。
何時間集中してしまったのだろうか、とも思ったのだが、それほどノートが埋まっているわけでもない。

「何度か話し掛けたんだけど…もうすぐ閉館よ?」
「あぁ、ごめん!」

有沢の手元には既に片付けられた勉強セット、それから読みかけの本があり、かなりの時間待たせてしまったみたいだ。がちゃがちゃと散らかったものを片付け、有沢と一緒に図書館を出た。






携帯電話の着信がなったのは有沢と別れてからすぐだった。仲の良い友人ならば着信音が変わり、大抵は誰からの電話なのか分かるようになっている。
そのせいかこの頃誰の着信か確認せずに電話にでるものだから、設定していない着信音の場合なみこの一言目は実に失礼なものになっていた。

「はいはい、誰?」
「………氷室だ。」

一瞬の間が空き、携帯を落としそうになってしまった。脳裏に浮かんだのは“課外授業の電話だ…!”の一文。

「君は電話を出るときの礼儀を知らないのか?」
「もしもし氷室先生こんにちは!」

はぁ…と、よく聞こえる溜め息の後はやはり課外授業の連絡で、明日の予定を入れていないなみこは勿論参加することにした。




氷室の課外授業は好きだった。堅苦しいやらつまらないなどという理由で参加したがらない生徒が何人も居る中で、なみこは毎回参加希望をしている。
勿論質問だってきちんとするし、後日出すレポートも翌日に提出できるよう心がけている。
自分がこれ程熱心に取り組めるものがあっただろか。
(もしかしたら初めて、かも)



――

頭に入ったのだろうか。
その日の課外授業は散々な結果となってしまった。
博物館はとても興味を引くもので溢れており、いつものなみこならばレポートの為に率先してメモをしたり、不思議に思ったことは直ぐに氷室に聞きに行くのに今日は何故かボールペンを手にもつ気力もなく、少しばかり眠気も取れていない。
無駄な時間とまではいかないがただ展示物を眺めているだけしかしなかった。更に、氷室に感想を求められたときに印象の悪い答えを出してしまったのか「集中力が欠けている」とまで言われる始末。

(もう、最悪だ…)

課外授業は今までになく最悪な一日に終わってしまった。



「小波。今から少し時間をとれるか?」

氷室に呼び止められたのは解散して直ぐの事で、またお説教が始まるのかと思わず身構える。しかし、氷室の表情は怒りなどではなかった。

「あの…はい、大丈夫ですけど…。」
「よれしい。私の車に乗りなさい。」
「え?」
「急ぎなさい!時間が無い。」
「は、はい!」

氷室の車に飛び乗ると、いつものようにシートベルトの確認をし発進したのだが、家とは逆方向なので送ってくれるわけではないのだろう。

「……よし。なんとか間に合いそうだ…。」
「あの…どこに向かっているんですか?」
「……秘密だ。」

(なんだろ…でも氷室先生、なんだか嬉しそうだな……。)
やはり、怒ってるわけではなさそうだ。なみこは、ほっと胸を撫で下ろす。

正直言ってしまえば、本当は直ぐに帰りたかった。昨日は寝たのが遅かったし、朝していた勉強も、途中だし。朝、鏡で見た自分は何て酷い顔をしていたのか、思い出したくもない。

(これでテスト駄目だったら氷室先生のせいにしてやる)
なんとなく悔しくて、理不尽な言葉を並べてみた。こんなことを本人に言ったならば確実にお説教、それに留まらず課題など出されかねない。



着いたところはとても殺風景で、何といえばいいだろうか。
極端に言ってしまえば、丘、だろうか。確か日曜の昼は子供や家族連れがいたりするけれど、さすがに今は日も暮れて人は居ない。
けれども氷室はそのまま車から下り、なみこにも早く降りなさいとでもいうように目線を向けた。



「…見なさい。」

少し歩き、緩やかな丘を登っていく。それまで交わされた言葉はなく、ひたすら登る。
そして、なみこの息が少し切れ始めた頃、氷室が口を開いた。
彼の目線の先を辿ると。




「わぁ!綺麗ですね…。あたり一面不思議な色で…。」

今までに無い景色。本当は綺麗の一言なんかで終わらせたくない程。夕日なのだろうけど、夕日という言葉の枠には納まり切らないその景色。
なみこが生まれて初めて見るその不思議な空と、それから自分を優しく見る氷室。不思議な組み合わせだと、少し思う。


「今の時期だけ日没の一瞬、この場所では、太陽光線のいたずらが起こる。」
「きれいですね……。でも、どうして急に私を?」
「どうということもない…。単なる思い付きだ。」
「そうですか…。」
「…小波、どうだ?少しは息抜きになったか?」

(そうか…。氷室先生わたしに息抜きをさせようと思って…)

“太陽光線のいたずら”など、氷室が言うはずなどはない事は分かっている。
普通ならばその現象の理由を教えてくれるはずだが、それがないのは自分を気遣っての事なのだろうと思うと、涙が出てしまいそうになるほど嬉しいものだった。



エースになりたい、それだけを考えて勉強をしてきた。
周りなんて気にする余裕なんてなく、皆がどれだけ心配していたか考えなかった。最近送られてくるメールは殆どが自分を心配するものばかりで。遊べないことに腹を立てず、勉強が捗っていないなら応援の言葉を、その都度大切な言葉をかけてくれた。勿論、勉強のするのはいいが少しは休んだら、という気遣いの言葉も。
余裕のない自分は一体何をしていたのか。昼夜問わず勉強をし、眠る時間まで割いて、それでも昨日の図書館では全くノートが埋まっていなかった。何度も帰りを促す有沢の気持ちが今わかる。
皮肉なことになみこは無駄な時間を使っていたと、氷室によって気づかされたのだった。
(…先生は、いつも私を導いてくれる)


「氷室先生、ありがとうございますっ!元気でました!」
「そうか。連れてきて正解だったようだな。」

(エース、絶対なってみせます)

なみこはそう口には出さず、氷室に見えないよう、小さくコブシを握り締めた。
エースになりたい、勿論それが一番理由だが、有沢や皆の期待に応えられるようにも次のテストでは必ず一番をと、この空と、氷室に誓った。




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